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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

われらの獲物は一滴の光:詩集『雷滴』平出隆*1


颱風の余波で風が荒れ狂っているのでおとなしく蟄居していた週末の日、郵便配達夫が透明なかごにくるまれた、じつに著者「二十四年ぶり」の新詩集『雷滴』を届けてくれた。


玉虫の翅のように美しい布張りの函の手触りにまずはため息を吐いてそっと蓋を開けてみると、ブルーグレイの靄がかった紙(左下にはv.ww.のエンボスと著者のサイン)にくるまれて、8頁綴じの折丁をかさねた全64頁の詩集が入っていた。詩篇の真ん中をつらぬくように加納光於氏による13点のモノクロームの版画が差し込まれている。


ブルーと橙色を基調として混じりあった色は、印象としてはグレイがかっているのだから、正確には玉虫色というわけではないけれど、光線の具合や角度によって色彩が刻々と変化するさまは、雷という一瞬の閃光現象が引き起こす偶然の予測不可能な形象を象徴しているかのようで目を見張る美しさである。華奢な器に刷られた罅のいった詩篇――まるで光の梯子のよう!――をそろそろと読みすすめながら、今まさにこの時この瞬間に、その鮮烈なイメジをページを繰る手のなかで目の当たりにしているかのような、そんな感覚がある。


加納光於さんによる不穏で美しい版画の数々は、偶然性の要素を多分に含んだ技法であるデカルコマニーを用いており、一滴の雷のしずくが落下してゆく軌跡をすっかりまるごとつかまえて画に定着させたように見える。デカルコマニーのことを考えると、わたしはどうしても瀧口修造のことを思い出してしまうので、ふと書棚にあった大岡信『ミクロコスモス瀧口修造』(みすず書房、1984年)をぱらぱらと拾い読みしていたら、瀧口修造野中ユリに宛てて書いた詩篇「星は人の指ほどの――」のなかに、こんなことばを見つけた。

若い生命の小指を賭けた狩り!
「われらの獲物は一滴の光りだ」と詩人はいう。


「われらの獲物は一滴の光り」とは、なんとこの詩集『雷滴』をあらわすに、ぴったりな詩句なのだろう!とすぐさま思ったのだった。本書によるとこの言葉は、フランスの詩人ルネ・シャールによるものだそうである。*2

*1:http://www.wwalnuts.jp/vww/

*2:追記:そして蛇足ながら付け加えると、これまた不思議なことにたまたま読んでいた『田村隆一全集 1』にもこのフレーズが出てきた(「われらの獲物は一滴の光り 実作者のノート」)ので二度驚くこととなった。