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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

流水書房青山店にて「小沢書店の影を求めて」の棚を見る


小沢書店の本はないけれど、小沢書店の世界があるっていったいどんなだろう?と、読書好きの方たちのあいだで話題になっているので気になっていた。


うちの本棚にはぽつぽつとしか小沢書店の本は並んでいないけれど、それでも角田光代の言葉を借りるまでもなく、ちょっとした文学好きならば、小沢書店の本の佇まいが他のほとんどの出版社のそれとは大きく異なっていることに気づくだろうと思う。社主・長谷川郁夫の選択眼を通じた書き手によるというだけではなく、(わたしが見た)どの本にもそれぞれ造本や装幀にきめ細やかな配慮がなされている。唯一、やや残念に思えるのは、女性の書き手の割合が少ないことだろうか。ともあれ、それは確かに戦前の第一書房やボン書店、戦後の書肆ユリイカと、形を変えながら引き継がれた「美しい書物の系譜」につらなる出版活動であったように思う。


たとえば、うちにある深尾須磨子作品抄『マダム・Xの春』の本体は緋色一色、表紙には金色の箔押しでたんぽぽと綿毛が浮かんでいるのが描かれている。背表紙にももちろん金色の箔押しで書名と著者名が記されている。その上に被さるクリーム色のカヴァの真ん中にはかの女の外遊の記念に撮られたモノクロのポルトレが、装飾を施されてまるでロケットの中身のように楕円に切り取られ貼られている。この本は結局たいして読むことなしに書棚にしまわれた(失礼!)のだけれど、古書店で手に取ってあんまり綺麗な本なので一目惚れで連れて帰ってきた一冊なのだった。それくらい小沢書店の本の美しさは際立っている。


若い書店員さんの作った棚には、小沢書店の本はなくとも、小沢書店の世界の残り香がそこには再現されていた。好きな著者なのでぱっと目についたのだけれど、たとえば平出隆の本の隣には加納光於の『稲妻捕り』(新刊書店で並んでいるのをはじめて見た!)がちゃんとさしてある。飯吉光夫『ベルリン・レミニセンス』もそこにさしてある。むむ、おぬし、判っているな、という感じなのだ(生意気ですみません)。平出隆の著作も、英文版『胡桃の戦意のために』のみならず、INAXブックレット『ボール』までが並べられている。すごいなあ。中身をちゃんと判って並べているのは素晴らしいことだなあ。新刊書店の文芸棚でこんな凄い並びを見たのははじめてかも知れない。しかもこんな小さなスペースで。小島信夫研究の第一人者であるわが恩師の本もちゃんと並んでいて、それもまた嬉しい。


素晴らしいなあいいなあとじーんとしながら、いつまでも棚の前にたちずさんでいると、人の良さそうな初老の男性二人連れが来て、髪の短い声の大きい方が「このあたりかなあ?」「あーあ、小沢書店、良い本出してたんだよなあ」と連れに話し掛けるでもなくひとりごち、立てかけてある長谷川郁夫『藝文往来』を手にして「あーあ、この長谷川郁夫、いい書き手なんだけどなー、もう何年も本書かないよなー」という。(そんなことないですよ、隣に並んでいる堀口大學の本はわりと最近ですよ、と心の中で思う)「あっ、司修のこの本は、これは何処何処で出してたんだよなー」「あー、でも良い本・欲しい本はやっぱり売れちゃっているなあ」と続けて少しさみしそうに言う。声の小さい、いくらか若い方が「影を求めて、だから小沢書店の本はないんですよ」と冷静に応える。「あっあー、そうかー、道理で違う出版社の本ばかりだと思ったよ、なあんだ、そうなのかー、やっぱりないのかー」と声の大きい方のおじさんがそう言って、二人で棚から立ち去った。


なんだか可笑しくてにんまりしてしまう。