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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

murmur murmur

3.11から三ヶ月が過ぎた。もう三ヶ月経ったのかという思いと、まだ三ヶ月しか経っていないのかという思いが交錯している。ここでは、つらいこと嫌なことについては書かないと約束としていたし、愉しみとして読んで下さっている方々にはとても申し訳ないことだけれど、何事もなかったかのように済ますことは今のわたしにはできないのです。ごめんなさい。というか、何もなかったようにすっかり元通りになるなんて誰も思っていないか....。


大きな重い石がもうずっと胸の上にのっかっている心地がする。日々をこんなふうに過ごしていてはいけないと頭では判っているのだけれど、胸がふたがれる思いで、震災や原発事故関連のニュースやら討論やらを見ている。もっと愉しみにかまける時間を増やしたいのだが、目を逸らすことができずにいる。もう三ヶ月のあいだずっと。


わたしはもともと政治的な人間ではないし、学校だってミッション系だったから、まあ選挙くらいは行っていたけれど、普段はほとんどニヒリズムを決め込んで自分の好きな世界の殻の中に閉じこもっていたような人間だ。声高に主張したりするのも・する人も嫌いだし、何より美しくない・素敵じゃないものには眉根をひそめてきた。だから、デモに参加するなんてもってのほか!と思ってきた。デモなんて、だって格好悪いじゃない。極端な思想を掲げていたり、それで内輪で小競り合いをしたり、とりあえず何でもかんでも反体制の煽動家だったり、どさくさに紛れて主旨とは関係ない自分の主張を繰り広げる人たちも嫌だし、髪の毛を逆立てておよそ知的ではない五月蝿い音楽を演奏するのも嫌だし、本当にほとんどデモに対するアレルギーというくらいに嫌だった。強面の市民活動家とも縁遠いしね。


でも、それでもわたしは今回、新宿のデモに行ってみた。デモは嫌だけれど、原発はもっと嫌だもの。デモをすることで原発がもし止まってくれるなら行きますよ、てなわけだ。というより、自分の中の倫理の問題として、嫌でも行かねばならないと思った。できれば行きたくなかったけど、せねばならないという気持ちのほうが強かった。今、日本で起っていることは明らかにおかしいし、こんなに酷い目にあってもまだ原発推進派が半分もいる日本は信じられないほど変だと思うから。東京だってチェルノブイリ事故時のキエフと同じくらい放射性物質で汚染されているというのに。それでもまだ黙って声を挙げないの?という気持ち。行って嫌な思いもした。沿道の人々の目の冷たいこと....!『ハーメルンの笛吹き男』みたいに、その笛の音が魅力的だったら、沿道の人々もどんどん列に加わって一緒に歩くという素敵な光景が見られたかもしれない。でも、それはほとんどなかった。ってことは、やっぱりこのやり方じゃあ限界あるし駄目なんだと思う。普通の一般市民と呼ばれる人々をどう巻き込んで行くか?ふらりと散歩するように参加できる空気がないと。こんなこと言うのは悪いかもしれないけど「素人の乱」の人たちが先導するようでは、やっぱり心穏やかに生活したいと思っている普通の人は来ませんよ。もっとしなやかに自然発生的な手法でやらないと。


原発問題が収束するまでは、心穏やかに本を読んだり映画を観たりお洒落を楽しんだりする時間はもう永遠に来ないのかなと思うし、たとえ収束したとしても、こんなに大気や水や大地を汚した原発共存してこれから生きてゆくなんてとてもじゃないができないと心の底から思う。それでもまだ原発やりますか?