しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

『別れの手続き 山田稔散文選』(みすず書房、2011年)*1を読む


親切な方がみすずの山田稔さんの新刊が出ましたね、と教えてくれたので、そうだった、忘れとった、そうだった、とさっそく本屋に行って買ってきて、休日の午后をつかってすっかり全部読んでしまう。この表紙のブルーグレー、たまらなく好きな色合い。


可笑しくて声を挙げて笑ってしまったのは「ポー、ふたたび」という作品。「あえなく突破されたわが予防線の裂け目から、善意の分厚い胸がぐいぐい押してくる。」なんて思わず膝を打ちたくなるようなフレーズで、上手いなあ、達者だなあ、と感心しきりである。って、1930年生まれの作家をつかまえて「達者だ」なんてへんですね、「達者」に決まっているか......。


「母の遺したもの」は幼少の頃、大人の本を親の目を盗んでこっそり開いたことのある者ならば、誰でも「ああ、わかる、わかる」と思うのではないだろうか。主人公の「私」は俗に「赤本」と呼ばれた家庭用医学書を、母の留守のあいだに薄暗がりのなか夢中になって読むのだが、わたしも小さい頃、親の本棚にあった白いカヴァーに大きな十字をつけた分厚い『家庭の医学』をよく読んでいた。いや、正確に言うと、文字を追っていたのではなく、もっぱら本のあいだに挟まれてそこだけ光沢のある紙質のカラー写真を眺めていた。それらのカラー写真には、白目に毛細血管が雷の軌跡のように走っている膜がかった眼球――黒目がおかしな場所にあって恐ろしかったこと!今でもルドンを見るとこの写真を思い出してしまう――や、ぼこぼこと白く細かい「おでき」が泡立つように覆う皮膚、口角が縦にひび割れて合成着色料で染めた鱈子色に赤く腫れ上がった唇などが載っており、怖いもの見たさもあって、飽かずにいつまでもその病例を眺めた。とりわけ気に入っていたのは、新生児の排泄物が載っているページで、ほうれん草のペーストような深緑色のものや、もたもたしたおかゆに小さな固形物が入り混じったようなものなど、見たこともないような色かたちの排泄物が写っており、子どもながらに「赤ちゃんはすごい、うんちにこんなにたくさん種類がある」と驚いたのだった......というような、もう二度と思い出さなくともよい、どうでもいいことをつらつらと芋づる式に思い出してしまう。「私」が熱心に「赤本」を熟読した結果、自分の病気は「胃アトニー」だと発見するくだりに、ああ、そういえば小出楢重の随筆にも伊良子清白の日記にも「胃アトニー」と書いてあったなあと思う。


それにしても、堀江敏幸のような書き手までもが「冷却装置にスイッチ」なぞという言葉を使うのを目の当たりにすると、これは3.11以降に書かれた文章であるということをひしひしと感じるのだけれども。