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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

頌春

お正月休みも今日で終わり。ほんとうは、お休み中に課題図書(おお!)であるところの、土肥美夫『ドイツ表現主義の芸術』(岩波書店、1991年)を読み進めて、腕まくりしながら橋本平八の二十年代研究に取り組みたいと思っていたのだけれども、半分瞼が閉じかけた眼でもって視界が霞がかったようなふわふわとしたお休み気分で、どうも「読まねばいけない本」ではなく「読みたい本」ばかりに手が伸びる。家人の書棚からロベール・ドアノー著・堀江敏幸訳『不完全なレンズで 回想と肖像』(月曜社、2010年)*1を抜いてきて斜め読みしてみたり、杉本徹『ステーション・エデン』(思潮社、2009年、装画・山下陽子)*2を「灰と紫」綺麗だよなあと思いながらゆっくり読んだり。


とりわけ、山田稔『北園町九十三番地――天野忠さんのこと』(編集工房ノア、2000年)*3のなかで、天野忠さんがクララ・ボウの話をしたり、好きな映画として幾度となくジョン・フォード『男の敵』を挙げるのを、いいなあ、いいなあと思いながら読んだのだった。山田稔さんの文章は大へん滋味ぶかい。わたしは今までもっぱらロジェ・グルニエやアルフォンス・アレー、フィリップなど翻訳作品の仕事にしか触れてこなかった(名著『コーマルタン界隈』すらも未読であった....!いやはや、げに恥ずかしきことなり)ので、いつものこととはいえ、かなり遅ればせな読者である。つづけて講談社文芸文庫に収録されている『残光のなかで』も読んでさらに感嘆する。ユーモアにくるんだ苦みと孤独から滲みでる言葉の選ばれ方には肩の力の抜けた老成の魅力がある。何処となく海港の香りが漂ってくるのは、海港都市である門司生まれだからなのか知ら?巻末の年譜を眺めていたら、三田文学に発表された「ぽかん」という作品名が載っていた。そうか、山田稔さんが「名付け親」になったという、貸本喫茶ちょうちょぼっこ真治彩さんがつくった雑誌『ぽかん』(http://www006.upp.so-net.ne.jp/pokan/)はここから採られているのだな。ご自分の作品から採ったなんて。これは嬉しいことでしょうね。それから、上で挙げた土肥美夫さんともご友人だったことが判った。亡くなられた時に追悼文を書いているのを年譜で確認して「ほう」となる。


ああ、願わくば、この一年も文化にかまけて「糸が切れて漂うごとく遊び戯れながら」(武田百合子犬が星見た」あとがき)過ごすことができますように.....!そうなったら、どんなに嬉しいことでしょう。