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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

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橋本平八とその時代――表現主義をめぐって


ある日、仕事で書誌を確認するために眺めていた画集"Avant-gardes du XXe siècle arts et littérature 1905-1930"(Flammarion, 2010)に掲載されている、とある図版に目が釘付けになった。


目を凝らしてクレジットを見るとアムステルダムのStedelijk Museumに所蔵されているエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーの木彫作品"Danseuse"(英訳"Dancing woman")と読めた。1911年、キルヒナーのブリュッケ時代の作品である(写真・右下)。


荒削りの断面がそのまま残されたプリミティヴな印象を与える女性の裸体彫像は、左手を挙げて耳に手をあてている。顔や乳房などには彩色が施されており、両膝とも曲げられて台座と一体になっている。


一目で、おお、これはまるで橋本平八の「花園に遊ぶ天女」(1930年)ではないか!と思う(写真・左下)。いや、正確には平八の木彫作品では、キルヒナーの作品とは逆の右手(耳をすますようにしている)を添えてあるのだし、両膝が曲げられているのは似ているものの、右足は宙に浮いている(これがこの作品のすごいところなのだけれども)。


けれども、モーリス・ドニセザンヌ礼賛》と青木繁《海の幸》の共通点を見出した時(id:el-sur:20100816)と同じく、これまた直感的に「ぴん」と来てしまったので、いつもの勝手な思い込みでもって「おお、キルヒナーとドイツ表現主義についてすぐにでも調べねばならない!」とさっそく昼休みに書庫へ駆け込んだ。


キルヒナーは1905年にドレスデンにてブリュッケ("Die Brüke")を結成するのだが、それに先立ち同地の民族博物館にてオセアニアやアフリカの彫刻と出会い、さらに後年(1910〜1911年)インドのアジャンタ寺院に遺された6世紀の仏教壁画に深い影響を受けたという。


調べてみると、キルヒナーやヘッケルらブリュッケ・グループの木彫作品の特徴のひとつに、荒削りの断面にやや不自然と思われるほどのどぎつい彩色を施したことがある(これはキルヒナーがドレスデンの民族博物館にて南洋パラオ諸島の家の梁を飾る彩色された浮彫りを見たことにはじまるらしい)。荒削りの断面に彩色を施す、というのは、平八も自らの彫刻作品(動物を象った《兎》や《白猪》(1927年)《双鶴》(1931年)など)でたびたび試みていることだ。ただ、このことがすぐさま、平八作品におけるキルヒナーら表現主義彫刻の影響をみることにはならない。平八が師事した佐藤朝山の作品にもこのような特徴が見てとれ、これは表現主義からの直接の影響というよりは、むしろ佐藤朝山経由のものとして見るほうが自然だろう。


田中修二「彫刻の印象主義表現主義」(『躍動する魂のきらめき 日本の表現主義』(栃木県立美術館ほか、2009年)所収)によると、

......木彫でもエルンスト・バルラッハ、ポール・ゴーギャンの影響を受けたフランツ・マルク、アフリカや南洋の彫刻を取り入れたエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーら、ドイツの表現主義彫刻を彷彿とさせる表現が生まれていた。内藤伸や佐藤朝山ら若い彫刻家たちは大正初年ころから、木をけずった刃の跡をのこし、ときに強烈な色彩を施して、ていねいな仕上げを基本とした従来の木彫にない力強い表現を生み出した。


とあり、このくだりにも、やはり橋本平八の彫刻作品は、これまで結びつけられ語られてきた円空の抹香臭い世界(失礼!)のみで語られるべきものではないのだ、という確信に似た思いをもったのだった。彼はモダニストに違いないのだ、と。


さらに、幸運なことに機会があって、橋本平八『純粋彫刻論』(昭森社、昭和17年)を閲覧することができたのだけれども、一読して驚いた。日記や断章のたぐいの短い文章が多いものの、彼がやはり同時代の西洋芸術に相当な深い関心を寄せていたことが判ったからだ。


人名を拾ってみるだけでも、師の佐藤朝山がパリで師事したブールデルにはじまり、ロダン、マイヨール、アーキペンコの彫刻家の名前が見える。キュビズムの手法をいち早く彫刻に用いたアーキペンコの名前が載っているのが興味深い。また、ドガやミレー、ゴッホゴーギャンセガンティーニカンディンスキーと来て、とどめはゴッホと並び表現主義の精神的な祖とも呼ばれるムンクに言及していることである。ムンクについては「天才者の内最も偉大なる主義者彼ムンクの如きは画家の内最高の位置に置かる可き画家である。」と最大限の賛辞を贈っているのだ。


そして、この図版にならってキルヒナーとの比較で言えば、『純粋彫刻論』にはこんな記述が出てくる。

アジャンタアの芸術、突如アジャンタアの芸術に注目する。アジャンタアの精緻の思想は如何なる時代も近寄り難きものあり。


橋本平八は、おそらく前掲のキルヒナーの木彫を見てはいないと思う。それどころか、キルヒナーという画家を知っていたかどうかすらもよく判らない。ましてや、キルヒナーがインドのアジャンタ寺院の壁画に影響を受けていたことなど知っていた可能性は極めて低いと思われる。それなのに、こんなにも作品同士が似てしまっているという事実がある。この恐るべき同時代性.....!


うーむ、これは橋本平八含めさらに日本における表現主義の受容と合わせて調べてみる必要がありそう。カンディンスキーの《青騎士》と名古屋詩話会の『青騎士』(春山行夫・井口蕉花・斉藤光次郎・岡山東・高木斐瑳雄)の関連性(名前以上にそんなのあるのかな?)や玉村善之助の主宰した『エポック』、洪洋社の『建築写真類聚』(大正14年)などについては次回につづく(?)。