しっぷ・あほうい!

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モダニスト橋本平八:Hashimoto Heihachi, the modernist

橋本平八の代表作の一つに《裸形少年像》(1927年)という作品がある。今回の世田谷美術館の展示では、この像は最初の扇部屋に配置されており、ぐるりと360度観ることができる。後ろにまわると背中心から臀部にわたって大きな亀裂が入っているのが印象的だったのを、家へ帰ってwwwを彷徨していたらこんな記述を見つけた。→http://www.nichibun-g.co.jp/?p=2763

像の背面には、首から尻にいたるまでの大きな亀裂があります。これは、この像が木心(木材の中心部)を使ってつくられているためです。木心を彫刻に使うと、乾燥による木の収縮が大きくなりひび割れが起きてしまうため、通常、彫刻家は木心を避けた部分を使います。しかし、平八はあえて木心を使いました。それは、平八が木には心が宿っていると信じていたためで、木の魂が宿る中心部分を、像の中心と合わせたかったのではないかと考えられています。(寺地亜衣・東京藝術大学大学美術館『美・創造へ 1』p.20)


橋本平八は木彫家であるのだから、木の性質――木心の部分を使えば、長い時間を経て、ひび割れを起こしてしまうこと―― を知り抜いていたはずだ。彫刻家が通常使わない木心の部分をあえて像の中心に使うということには、そこに木の魂が宿っているという信仰と同時に、いずれ亀裂が入り、朽ちてしまう木の本質にどこまでも寄り添おうとする、彼独自の視座をもまた見て取ることはできないだろうか。彫刻家が通常禁じ手として使わない木心をあえて使う。木心はいずれひび割れる。それを熟知したうえで、あえてその部位を使って制作することは、自らの芸術における絶対的な定着=永続性を拒絶したということなのではないか。


おそらく彼はこのように考えていたのだと思う。


自然は絶えず留まることなく変化の過程にある。作品という名の人為とは別の時間がそこには流れる。作品として絶対性を定着させ、それを芸術というかたちに昇華させることが目的なのではない。木はいずれ湿り気を失い、亀裂が入り、変形し、やがて朽ちてゆく。それならばそれでよいのだ、と。


そうなのだ、彼は人為のおよばぬ自然というその雄大な時間の流れ(コスモロジーとでも呼ぶべきだろうか?)が自分の作品にもたらす様々な変容を受け入れている。もし平八が自分の芸術の永続性を希求し、絶対性をそこに定着させたいと考えたならば、彼はブロンズという素材を選んだのではないか。けれども彼は、魂が宿る天然の素材=木を彫るということを選択した、おそらく意図的に。


美術史に燦然と輝く彫刻作品たちは、古代エジプト、ヘレニズムなどからはじまり何千年という時を刻んで今に残されている。しかし平八が制作したこの彫刻は、木心をあえて素材として選ぶことで、抗うことのできない大きな時間の流れの中で作品が変化してゆくことを是とした。橋本平八のまなざしは、その別の時空を見据えていたのだと思う。そのことで、この作品は古典として日本近代彫刻史に収まりよく位置づけられることを潔く回避している。日本美術院という権威的とも言えるきわめて正統的な場所を自分の作品発表の場としていたというのに、だ。このラディカルさ!


三重県立美術館の毛利伊知郎さんのお話によれば、橋本平八という人は、同じような作品を二度と作らなかったという。作風は常に変化し、作品のひとつひとつがが新しい実験だった。弟の北園克衛がこの兄のことを「激しいエスプリをもっていました」と後年書いているが、まさしく前衛としての木彫を体現したのがこのモダニスト・橋本平八だったのだと思う。そして、このことはそのまま彼が呼吸していた1920年代というモダニズムの時代思潮を体現したことに他ならない。レスプリ・ヌーヴォーの風はここにも吹いていたのだ。


スクリーンに映し出された所在不明となっている作品の画像の中には、まるで抽象彫刻の先駆けのような《時間・空間・香合》(このネーミングのセンス!)という作品もあり、講堂がざわつくほど鮮やかな印象を残すものだった。


うーむ、橋本平八恐るべし、とあらためて思う。はじめて彼の作品を見た時に「時空を超越してしまっている凄さがある」(id:el-sur:20100825)と書いたけれど、まんざらその印象は間違ってなかったのか.....。モダニストなのは北園克衛だけではなかった。この弟とともに、異色の"前衛"芸術家兄弟と呼びたい。


【異色の芸術家兄弟――橋本平八と北園克衛展】は世田谷美術館にて12月12日まで開催中。