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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

橋本平八から折口信夫へ、ボン書店経由で北園克衛


いつもの東京ではなく、生誕地である三重で【異色の芸術家兄弟――橋本平八と北園克衛展】(三重県立美術館)を観たことで、いきおい郷里の風土のようなものが、兄弟の芸術にどのような影響を与えているのかということに思いを馳せることとなった。今回の旅行では、兄弟の生まれ育った朝熊には行けなかったけれど、山あいの朝熊という場所こそが兄弟の原風景だということをきちんと考えなければ、橋本平八と北園克衛という、一見、ほとんど共通点のなさそうに見受けられる芸術家兄弟の本質を捉えきれないのではないか?......などと、この頃つらつらと考えている。そこにはきっと光をあてられてこなかった二人の別の側面が見え隠れしているはずなのだ。句作をはじめ、茶碗を愛で集めてそれを掛け軸に墨で描いた決してモダン一辺倒ではない北園克衛が居て、アンドレ・ブルトンを読んで洋画も観て毎日珈琲を淹れるモダンな日常生活を送っていた橋本平八が居る。朝熊、いつか行ける機会があるんだろうか。三重から帰ってきたばかりなのに、もう再訪してみたい気がしている。


兄の橋本平八については、一見であまりの凄まじさにうろたえてしまったし、わたしの理解を超えてしまっている作品群なので、もう一度今秋に世田谷美術館でしっかり作品を観て、それからうんうん唸って考えたいと思っているところ。なんだか彼じしんが古代からやってきた人というか、時空を超越してしまっている凄さがあるんだよなあ。そう、ちょうど折口信夫のよう、というと誤解されてしまうかもしれないけれど。彼の造った木彫を眺めていると、アニミズム的なものも感じられるけれど、もっと言うと、縄文時代の埴輪とか、アフリカの原住民がつくったプリミティヴ・アートとかそんなものまでが思い出されてしまうのだ、不思議なことに。芸術作品が文化人類学まで内包してしまっている凄さ、というか。例によって、上手く言えないけれど。図書館学で言うと、7類の「芸術」に収まりきれないで、3類の「社会科学」に入れたくなってしまうような、ひじょうに図書館員泣かせのジャンル横断ぐあい、というか。酒井忠康さんがシンポジウムの中で、橋本平八は日本の近代彫刻史での位置づけが難しいと仰っていたのを思い出して、そりゃそうだよなあ、と妙に納得してしまう。その点では、折口は一見、極めて日本的な言葉で語られやすい(万葉、神道国学院etc)のかもしれないけれど、彼もまた日本人の枠に収まらない、ひじょうに変な人だという気がするのです。何故って、自らの小説を『死者の書』と命名してご丁寧に表紙にミイラ画まで描いてしまうという、何という緻密に用意されたパロディ!を平然とやってのけてしまう人だから。そう、折口の魂ははるか古代エジプトにまで飛翔してしまっているのである!とかなんとかエラそうなことを言いつつ、わたしは晦渋さ極まりない『死者の書』はまだきちんと読了しておりません!という恥ずかしい告白をここでこっそりしておきます。ともあれ、そういった時空を超越しているところで、なんだかこの二人は似ている部分があるよなあ、と思っているところなのですが。


弟の北園克衛について触れられたものは、そうだ、内堀弘『ボン書店の幻』*1という、レスプリ・ヌウボオの風をはらんだ素敵な「モダニズム詩史」水先案内書があるではないか、と思い出して、もう何度目かの再読をしているところ。何となく最後の長谷川郁夫さんの解説から読みはじめて、そのあと待ち切れずに「文庫版のための少し長いあとがき」を読み返してしまう。この「あとがき」には、何度読んでも泣かされてしまうのだけれども。


北園が異なるジャンルの芸術家の交流を考えた「アルクイユのクラブ」(エリック・サティの住んでいた街の名前から採られている)は、当初、詩人だけではなく、写真家、建築家、画家、彫刻家、音楽家などジャンルを越えた芸術家集団として構想されたという。結局のところは、詩人しか入会せずに構想倒れになったとはいえ、当時としてみれば、いや、現在を考えてみても、ジャンルを横断した芸術家集団を試みることは、かなり斬新な企てだったことだろうし、その北園の夢見たボーダーレスな新しさは、やがて『VOU』などの海外まで視線を投じた活動にもつながってゆくことになる。それにしても、モダニズムの時代というのは、海外の文芸思潮を含む文化の波がかくも親密な距離でどっと打ち寄せてきた時代だったのだなと思う。それはエズラ・パウンドと交流した北園のみならず、マン・レイに会いにいった竹中郁や、シュルレアリスト山中散生瀧口修造といった人たちもまた興奮をもってそれを受け止めていたことだろう。彼らはそんな幸福な同時代性の邂逅を謳歌できた世代だったのだ。


そして、その表舞台の裏方にひっそりと鳥羽茂という「詩の好きな青年」が居たことを忘れずに覚えていたい。「一冊も売れない詩誌を作ることがボン書店年来の希望である」とまで言い切る極度に純化されたアマチュアリスムの行き着く果ては、あまりにもつらく悲しいものだ。けれども、彼の手がけた美しい詩書は酸化に耐えながら今もどこかの書架にひっそりと遺されている。わたしが今まで閲覧できたボン書店の本は、どれも簡素でそっけないけれども、その愛らしさ、センスの良さ、丁寧な造本ぶりは、一度手に取ってみればすぐに判るという個性を持っていた。人の手を経た本のあたたかみが頁を繰れば匂い立ってくる本。そんな本を送り出した出版者が居たことをこれからも覚えていたい。


十月
歯に沁む朝の牛乳


という彼が「池田絢子」名義で書いた詩のフレーズをなぜかとても気に入っている。