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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

三重旅行記 その2


津の県立美術館を常設展まで堪能したあと、南下してその日は伊勢に泊まった。そこでいくつかの偶然が重なり、忘れがたい旅の醍醐味を味わったのだった、と言いつつ、ここでは詳しくは書きませんが。嬉しかった/愉しかった記憶は、それだけでもうじゅうぶんに結晶化されたものだから、その小箱をふたたび開けてしまうと、せっかく捕まえた小鳥が羽根を広げて逃げていってしまうような気がするのです。なので、時折ふっと思い出し笑いをして周囲の人々に気味悪く思われながら、心に留め置くまでにしておきます。なーんて、たいそう思わせぶりですみませぬ。


翌日は、朝から小雨が降ったと思ったら日が出たり、また急に曇って強風が吹いたり、というような 終始不安定なお天気であった。これで雷鳴でも轟けば、これから向かう伊良子清白――清白という人は気象学になみなみならぬ関心を寄せていた人であるから――の家を見るにはうってつけの日だなあ、などと思いながら、ふたたび車に乗って鳥羽方面へ。鳥羽駅前に(正確に言うと、赤福鳥羽店の裏側である)《伊良子清白の家》(大室移築アトリエ、2009年)が移築されているのを見にゆく。移築という言葉はあまり耳慣れないが、展示パネルによると、漂泊の詩人と謳われた伊良子清白のみならず、この家じしんも何度も移築という「旅」を重ねているのだそう。詩人のみならず、家まで漂泊するなんて想像するだけでおもしろいな。だからと言って別に、家がそのままのかたちで空飛ぶ訳ではないのに、どうも家がそのままの状態であちこち浮遊しているのを想像してしまうのは、たぶんエルンスト・ルビッチがハリウッドへ行く前に撮った1910年代の無声映画を好きすぎるからであると思う。まったく関係がないのに、すぐそういって何でも勝手な想像を巡らせてしまう。まことに想像力というものはやっかいなものなり。


......と、またしてもはなから脱線しそうになる話を軌道修正すると、伊良子清白を読むきっかけとなったのは、装幀が珠玉のごとく美しく、シンメトリーなかたちで函に収まっている二巻本、平出隆『伊良子清白』(新潮社、2003年)*1をぼちぼち読みはじめてからなのだが、ちょうどその頃に折口信夫に興味を抱くことがあり、その折口が長きに渡って愛唱していたのが清白の「安乗の稚児」という作品だということをこの本の中で知った。それで、これはたいそう良いタイミングであるなと、伊良子清白と折口信夫を並行するかたちで読み進めるということがあった。


平出隆の『伊良子清白』を読みながら、折口がなぜ清白の詩に親しんだかということを考えた時に、ふたりとも「乳母の子供」だったということがあるのではないかと思い至った。清白の生みの母は生後十一ヶ月で亡くなり、乳母を母代わりにして育ったという。清白の母への思慕は、詩集『孔雀船』の口絵――もっとも、この画の出来には満足していなかったようであるが――と献辞からも判るとおり、相当に強いものがあり、それはそのまま乳母に向けられて「かくて私は実親にも及ばぬ乳母の慈愛に守られて」と書かせるまでとなった。いっぽう、折口の母に対するそれは遺された短歌や詩を見る限り非常に屈折したもののように思える。乳母に対して詠まれた歌が、どれもみどり児が母の胸に抱かれているような温かみを与えるものであるのに比べ、「幼き春」と題された詩には「我が母は我を愛まず」と断定口調とも思えるぶっきらぼうさで以て強い調子で書きつけられている。とはいえ、母の亡くなる前には、取る物も取り敢えず大阪に舞い戻り、枕元で歌を詠み見舞っていたというのだから、そこには傍目には計り知れないアンビバレントな感情の小波があるのだろうけれども。話はいくぶん脱線するけれど、この時の情景を描いた「わが子・我が母」をわたしはとても好きだ。十二月の寒い朝の光が白々と部屋に差し込んでゆく中で、折口の詠んだ歌を聞いた病床の母が嬉しそうに「おお、中将姫さんの雪責めだすかいな」と浄瑠璃の文句に重ねて応えるというエピソードは、二人のあいだでしか成立し得ない親しみに満ちた交感を垣間みている感じがして、大へん美しいと思う。(以上のようなことをつれづれ考えたのは、富岡多恵子釈迢空ノート』(岩波現代文庫、2006年)を読んだことによる、ということを記しておきます。)


《伊良子清白の家》は奇跡的に解体の危機を逃れ、移築され保存されることになったそう。家そのものは木造の天井の低い日本家屋だけれども、二階に上がると大きく取られた窓から見える線路の向こう側に広がる光景は、まさしく「海やまのあいだ」と呼ぶにふさわしいものであった。この借景を心に嵌めることで、難解な清白の詩篇の言葉に少しだけ近づいたような気がした。二階の窓からはまた、伊勢志摩の地形を模した緑色の芝生と白い砂利、幽玄で純潔な叙情をたたえた清白の詩にぴったりの若い薄緑色の葉をなびかせた柳を俯瞰することができる。診査医をなりわいとして日本各地の様々な場所を転々と流離する歩行を続けながら、清白は海と山のあわいを、隆起した地形や複雑に入り組んだ海岸線を、すなわち列島の地勢というものを詩人の目でじかに確かめたことだろうと思う。そのことの持つ意味の重要性に思いをいたすと、この庭の構造は清白じしんの目で捕らえられた「海やまのあいだ」を現していると言えるような気がして、この少壮の建築家*2の思索の行程の確かさに感じ入ってしまう。


折口と清白の安乗。ここまで来たら、次はいよいよ安乗崎に行かないと!という訳で、けもの道のような狭い山道をうねうねと通って、清白の「安乗の稚児」の石碑があるという安乗崎灯台へゆく。岬はやっぱりいいなあ、どうもわたしは岬などという陸地の果てる場所に立つと「世界の果て」という言葉を思い出してしまう。あいにく灯台の内部には強風のために入ることができなかったけれど、ごうごうと耳元で音を立てる風に煽られながらじっと海岸線を見つめていると、何と海と空のあわいにうっすらと虹の帯がぼうと霞むようにあらわれたのだった。虹の帯ははじめ海岸線近くで七色に光り、ついで厚く垂れ込めた積乱雲に呑まれるようにして徐々にその高度をあげてゆくように見受けられた。「花姿天人の 喜悦に地どよみ 虹たちぬ」(「月光日光」)「けたゝまし 虹走る」(「淡路にて」)「花環虹めぐり 銀の雨そゝぐ」(「花柑子」)と詠んだ清白が安乗に降り立った私たちに用意してくれた虹なのだ、と思った。

*1:ISBN:9784104632015

*2:ちなみにこの移築を手がけた大室佑介さんを含め30歳以下の若手建築家による展覧会「U-30: Under 30 Architects exhibition」(http://www.aaf.khaa.jp/u30/)がこの9月に大阪で開かれるそう。