しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


尾崎翠を神話から解放するこころみ:

川崎賢子尾崎翠 砂丘の彼方へ』(岩波書店、2010年)*1



現代の文芸評論家でもっとも信頼すべき書き手のひとりである、川崎賢子さんの待ちに待った新刊。


つねに神話がつきまとってきた尾崎翠を同時代のエコール(文芸思潮)に照らし合わせすみずみまで精緻に読み解くことは、彼女の文学をそのなかに位置づけること。それは彼女を再生する実践であり、脱神話化の試みとなる.......。その豊穣な思索の痕跡(小野小町からケルト文芸、映画からナンセンス、現象学から新仏教までetc, etc....)は緻密な調査に裏打ちされた深い洞察によって支えられ、今まで掬い採られてこなかった尾崎翠というひとりの文学者の、さらなる未知の可能性を提示した画期的な論考として尾崎翠研究の新たな指標となることでしょう。まことにスリリングで読みごたえのある、新世紀の尾崎翠論の登場です。



尾崎翠の代表作「第七官界彷徨」では「聴覚と嗅覚によって世界を捉えようとする試み」が積極的におこなわれ、「視覚、聴覚・嗅覚、味覚・触覚といった視覚を頂点に置く諸感覚の近代的なヒエラルキーを再編し、世界を知覚する方法を変えることは、世界との関係性を変えることになる。」(p.161)という一文には、尾崎翠のテキストが価値観的にも方法論的にも新しいという示唆が読み取れます。そうか、世界を知覚する方法を変えることは、そのまま世界との関係性を変えることになる.....!



尾崎翠という作家は、わたしにとって、もうかれこれ十年以上に渡って特別な存在であったというのに、同時に尾崎翠について語ることの困難ともどかしさとにいつも「むずがゆさとうっとおしさ」(金井美恵子)を抱えていたといえます。そんなわたしのような読者にとっては、この作品の持つひどく不思議で特異な魅力を、的確な言葉で端的に言い当てたこの一文にひといきに霞が晴れるような心地がしたのでした。



翠が代表作を書いた時期を「鳥取と東京というふたつの場所を行きつ戻りつする」あいだとし、「ひとところには定住しない暮しのなかから、彼女の文学は生み出された」(p.24)という指摘や、彼女の生年が宮沢賢治と同じ1896年であるという喚起、あるいは、他の文学者たちーー例えば、吉屋信子林芙美子らがそろって戦意高揚の渦に飲み込まれていった戦間期に、書かないという選択肢をとったことの意味については、昨年のほぼ一年前に行われたシンポジウム「尾崎翠の新世紀」(2009年3月28日 於日本近代文学館)の中で、講演者のひとりである池内紀*2も「尾崎翠の新しさ」と題するトークのなかで同様のことを述べていたと記憶しているけれど、本書の「なにかを書くことによって文学の歴史に名前をとどめるばかりではなく、何を書かないかを選びとることによってもエコール(文芸思潮)に位置を占めうる。」(p.354)というくだりに、そうだった、そうだった、と一年振りの言葉の邂逅に嬉しい符合を見い出すこととなりました。



また、「第七官界彷徨」「歩行」「こほろぎ嬢」を連作と捉え、そこに教養小説的な段階的成長を見出すという、まったくもってモダンとかけ離れたおよそ旧式な読みで、個人的にはおおいに異議を唱えたいーー尾崎翠の作品はそんなつまらない既存の物語に回収できるものではないのだ、と思って勝手に読んで勝手に立腹していた、とある院生の書いた最近の論文についても、本書ではきっちりあざやかに分析がなされていて拍手喝采、溜飲が下がる思いでした。



ただ、一点だけやや違和感をもったのは、翠が丘路子名義で書き、映画化はされなかったものの、阪妻プロダクションに採用されたとされる映画シナリオ「瑠璃玉の耳輪」の書かれた当時は、パール・ホワイトの連続活劇がもてはやされていた、としていることなのですが、連続活劇が流行したのは1910年代まででは?という感覚があり、手元の資料を調べてみると、やはりパール・ホワイトの全盛期は1918〜1920年頃までで、1924年にはすでに引退しており、「瑠璃玉の耳輪」の執筆された1927年には、おそらくもう日本でも連続活劇の人気はかなり下火になっていたのではないかと思われます。無声から発声へ、映画の黎明期における数年のずれはかなり大きいものがあり、女スリを主人公とした活劇、というならば、むしろ日活モダニズムを牽引したジャッキー阿部豊監督の『足にさはった女』(1926年)の世界の方により近いのではないかと....とか何とか、戦前の日本映画については以前かなり調べたので、自分の得意な方向に持っていきたいだけの気もしますが......。



とはいえ、まだまだ尾崎翠は研究し尽くされていないのだ、という感を強く抱かせる刺激的な一冊であることは間違いありません。尾崎翠文学が内包している様々な可能性に新しく光を照射してくれた著者に導かれ、たんなる「少女小説」「ジェンダーフェミニズム」「モダニズム」といった既成の括りにとらわれることなく、今後もより横断的な視点から尾崎翠を読みつづけてゆきたい、と思うのです。

*1:ISBN:9784000224055

*2:東京と鳥取の往復運動のなかで彼女の小説が書かれた、ということを仰っていたように思います。