しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


『リアン』と『詩と詩論』と『詩・現実』のこと、それから衣巻省三


内堀さんが対話の中で、『リアン』が掲げたのはシュルレアリスムは革命の芸術であり、春山行夫の『詩と詩論』はフランスのシュルレアリスムの紹介にすぎないではないか!ということをおっしゃったのを聞きながら考えたこと。


『リアン』は佐藤惣之助の主宰していた『詩之家』の同人、竹中久七、潮田武雄、渡邊修三、久保田彦穂の四人のフォルマリストにより創刊された詩誌。詩之家というと、個人的には、渡邊修三と並んで、稲垣足穂関西学院時代の同級生で神戸モダニスト、ムッシュウ・キヌマキこと衣巻省三のことを思い出す。第一詩集『こわれた街』(1928年)は詩之家出版部から刊行された。同年に、同じく詩之家出版部から第一詩集『エスタの町』を出版した渡邊修三は『リアン』創刊に立ち会っているというのに。この頃、衣巻省三はどうしていたのだろうか。


わたしのモダニズム詩の教科書であるところの、中野嘉一『前衛詩運動史の研究』(沖積社、2003年)に、「『リアン』と『詩と詩論』は同じ散文詩運動→シュルレアリスム詩運動の傾向をもちながら、つねに対立的関係にあった。それは、『詩と詩論』が翻訳・紹介に重点をおき、詩の現象論を追求するにとどまっている点をあきたらずとして、外国文学の輸入・模倣を拒否して、本格的に詩論的探求によって、独断的なものを建設しようと企てたからである。」(p.336)という記述がある。


外国文学を積極的に紹介・翻訳した『詩と詩論』が、政治的なコミットはさておき、どちらかというと表層をなぞるかたちでシュルレアリスムを吸収しようとしたのとは対照的に、『リアン』は外国文学の輸入や模倣を拒否するという態度を貫いたにもかかわらず、結果的には『詩と詩論』よりもフランス本国のシュルレアリスムコミュニズムを内包した)に近づいていってしまったということがあるのではないだろうか。


それともう一つ思い浮かぶのは、『詩と詩論』から袂を分つかたちで創刊された、神原泰や北川冬彦飯島正らの『詩・現実』(1930年〜1931年/全5冊)のことだ。小島輝正『春山行夫ノート』(蜘蛛出版社、1980年)によると、『詩・現実』の創刊号巻頭には、ピエール・ナヴィルの評論が掲載されており、「ナヴィルの論文を創刊号巻頭にすえる以上、『詩・現実』がナヴィル的政治優先主義に傾倒していたことは明らかである」と小島輝正は書くのだけれども、『リアン』が「シュルレアリスムは革命の芸術」というスローガンのもと、プロレタリア芸術運動に接近していったことと、『詩・現実』が「前衛芸術派とプロレタリア詩派の過渡的な合体」(『前衛詩運動史の研究』p.339)を試みた特異な詩誌だったことを思うと、この二誌の接点というものがどうしても気になってくるのだけれども.......とかなんとか、つらつらと考えてみたり。うーん、うーん、でもこんな難しい問題はわたしの手には負えないので閑話するしかないのが悲しいけれど。