しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


一月十六日、一月十六日:伊達得夫岡田時彦


田中栞書肆ユリイカの本』(青土社、2009年)とその展示とトーク・イヴェント「書肆ユリイカの本・人・場所」の余韻を引きずったまま、平出隆×扉野良人対談では「荒地」の詩人たちの話を聞き、間奈美子さん主宰のアトリエ空中線十周年記念展とそのギャラリートークにも参加して、今度は瀧口修造と書肆山田に思いを馳せることとなり、気がつけば、詩とその周辺に囲まれて忙しくも幸福なここ数ヶ月の読書であった。


長谷川郁夫『われ発見せり 書肆ユリイカ伊達得夫』(装画:駒井哲郎、1992年、書肆山田)は、伊達得夫という名の、戦後詩の表通りをつむじ風のように駆け抜けて、たった40歳という若さで亡くなってしまった伝説の編集者(にして装幀者でありデザイナーでもあった)の生涯を丹念に書き記した評伝で、読んでいて何度も目頭が熱くなるのだけれど、そこから見えてくる伊達得夫の、才能を見抜く編集者としての確かな目と飄々とした佇まいと優男的な容姿に垢抜けて洒落たセンスと、センチメンタリストとロマンティシストの面を兼ね備えつつも、いつもぽつんと孤独を抱えているその姿が、本当にいいなあ素敵だなあと思う。こんな出版人が今居たらどんなにかいいのに.....!みずからを自嘲的に道化に仕立て上げてみせても、いや、だからこそかえって、その口の端をゆがめたような微苦笑の裏に、一抹の寂しさが常に漂ってしまうような青年.....。「ニヒリズムとリアリズムが渾然と溶けあっ」(草野心平)た失意の楽天家。長谷川郁夫は、書肆ユリイカを創業する前の彼がどんな人生を送ってきたかということにかなりの章を割くことで、徒に神話化することなく、適度に抑制された筆致で、伊達得夫という編集者になる前のひとりの人間を描いてみせる。そこには、釜山に生まれ、京城、福岡、京都、満州と各地を転々とした永遠のエトランジェで、どこにも属する場所の無い故郷喪失の青年が持つふかい漂泊の孤独があり、戦中は野蛮な軍隊に身を置くことで人間の愚劣さを思い知り、戦後は急激に変化を遂げる社会情勢や政治の季節に曝されることで、生活に喘ぎ歩むべき道に懊悩する青年の姿がある。


生の営みとしては無謀とも思える、採算の取れない詩集の出版に熱意を傾け、ひたすら瀟酒な詩集を世に送り出したのは戦前のボン書店・鳥羽茂と変わらないようだが、伊達得夫の、深い諦念と孤独を抱え、世を拗ねているくせに人一倍寂しがりやで、そのくせ、あかるい人の輪の中には入ることができずに、ひとりぽつねんと寂しそうに虚空を見つめているような矛盾に満ちた存在が、たまらなく魅力的だと思ってしまう自分がいる。それは、私がずっとマージナルなものや人々に惹かれ続けて来たからなのだろうか。孤独であるということは、いつの時代も強く美しい。


年譜を見ていて気付いたのだけれども、伊達得夫が亡くなった1961年1月16日という日は、奇しくも27年前に岡田時彦が亡くなった丁度その日なのであった。勝手な思い込みかもしれないけれど、そういえば、岡田時彦伊達得夫はどこか似ているような気もする。岡田時彦は一人超然とダービーハットを被って蒲田撮影所に出社し、撮影所の門を一歩出ると途端にむっつりと押し黙る孤独な一個人に戻り、川口松太郎にはニヒリストと断じられた。幼い頃は父親の放浪癖で彼もまた川崎、茅ヶ崎、逗子、横浜などを転々としたことがあったから、伊達得夫が漂わせていたであろう一抹のもの寂しさは彼にもきっと共通するものであったのではないかと思う、とかなんとか、どうも好きな人たちを無理にでも繋げようとする私の悪いくせですが.....。