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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


雨が降ったからなのかどうなのか、昨日の夕方からとつぜん金木犀の甘い香りが鼻をかすめるようになった。


月曜日、古書会館で開催中の『書肆ユリイカの本』展にゆき、奥平晃一(田村書店店主)、郡淳一郎(元・青土社ユリイカ』編集長)、田中栞(紅梅堂)のお三方によるトークショー「書肆ユリイカの本・人・場所」にも参加する。田村書店の奥平氏のお話は何から何まで聞いていてわくわくするようであった。元「らんぼお」(百合子さんがウェイトレスをやっていた、あの伝説の)現「ミロンガ」の増築した部分の床には段差があり、その段差の部分は十三階段の跡で、物凄い傾斜のきつい階段を昇ってゆくと、階上には「思潮社」や「昭森社」とスペースを分け合うかたちで、伊達得夫の「ユリイカ」があったのだそう。また、書肆ユリイカの造本についての話になると、活版がなくなり、本の個性がなくなってしまった、ユリイカの本は、薄くて小さいものが多いので、書棚に立てると存在感はないが、デザインに工夫があり、決して高価な素材を使わずとも凝っている、小さいけれど光る書物だ、というようなことを仰っていたのが大へん印象に残った。それから、稲垣足穂のお嬢さんから郡淳一郎氏宛に送られた手紙の文章から立ちのぼってくる回想の伊達得夫という人物は、『詩人たち ユリイカ抄』を読んで感じた印象そのままであったので、そこはかとなく物寂しいおもいがした。子どもの前で圧死してしまったヒヨコを七輪で焼いて半ば戯けながら旨そうに食べてみせる伊達得夫......。


伊達得夫『詩人たち ユリイカ抄』に載っている文章は、一抹の物寂しさが感じられてどれも好きだけれど、童話「サキコのこと」を読んで、ふと渡辺啓助岡田時彦名義)『偽眼のマドンナ』が思い浮かび、つづいて、渡辺温「可哀想な姉」を思い出した。あと、ついこの前まで、『二十歳のエチュード』の原口統三を何故か原口銃三と思い込んでいた。統三より銃三の方がしっくりくるのに、逗子の海に入水自殺をした一高生、なんていう形容が付いていたからなのかもしれないけれど。