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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

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週末つれづれ記:


先週の新文芸座での小津安二郎特集では、無事に岡田時彦主演の映画を二本鑑賞することができ、ほっとしているところ。改めて見直してみると『淑女と髯』(1931年)は傾向映画すれすれの危なっかしさ(字幕や脚本には無いものの髭面のマルクスの写真が大写しになる)と、権力に対するあからさまな皮肉(「じゃ、わたし警察か治安維持法と結婚することにいたしますわ!」)が感じ取れる茶目っ気たっぷりのナンセンス喜劇で、月田一郎の妹役の飯塚敏子の友人の中にクレジットにはないものの、井上雪子を発見して「おお!」と思う。今まで気付かなかった.....。身体、仕草、表情など、あらゆる面で英パンのコメディ・センスが冴え渡っていて本当に素晴らしい。



土曜日は、京都から巡回するのを楽しみにしていた目黒区美術館にて「上野伊三郎+リチ コレクション展」へ。「リックス文様」と呼ばれるリチのプリント地はあれもこれも本当に可愛らしくリバティにも匹敵する乙女度でもうクラクラ。ああ、こんな美しいプリントのスカートがあったら絶対買うのになあ、と思う。伊三郎とリチの共同制作の白眉とも言える京都スター・バーの何とファンタスティックなこと!天井にリチのデザインした草花の模様があしらわれていてうっとり。



その後、家人と落ち合って遅ればせながら話題のイーストウッドグラン・トリノ』を観る、これはよい映画であった。物語の構図が『東京物語』に似ている(ポプラの木までもが映し出されたりする!)のと、イーストウッドが気に入らないことがある度に唸るのが山中貞雄『百万両の壷』の大河内伝次郎みたいだとか、只今もっぱら日本映画脳なので、出て来るのはそんなどうでもいいような感慨ばかりなのだけれど、それはさておき、これは古き良きアメリカへの鎮魂歌なのだろうな、と思う。完全無敵のダーティーハリーが蜂の巣になって死ぬなんていう、あり得ない衝撃。しかも、白人の手強い永遠のライヴァルによってではなく、虫けらのようなイエローフェイスのチンピラどもによって。おお、何と言う皮肉、神のいたずら。イーストウッドは自らを自らの手で葬って、これでもか、てな具合に棺桶に納められた死体まで見せてしまう。これはまぎれもなく2008年現在の映画なのだ。そしてこの映画の一番凄いところは、キモとなる大切な台詞をはじめて画面に映った人間にほとんどアクシデンタルなかたちでぽろっと言わせてしまっているということだ。ユーモラスだけれども割と単調な前半を経て、後半の怒濤の展開すべてがこの台詞一点に向かって突き進んでゆく、その手腕、映画の見せ方、これはやっぱり映画を知り抜いている人にしかできないことだと思う。