しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


久生十蘭「妖術」のモデルのこと



京阪神行きの資料も読みつつ、灰色のクロス製本が美しい『定本久生十蘭全集1』(国書刊行会、2008年)*1を合い間合い間に読んでいるのだけれど、1938年に執筆された三一書房の全集未収録の「妖術」という作品が気になっている。


この作品の舞台となっているのは、米国独立記念日の夜、横浜のホテル「ニュウ・グランド」の華やかなボール・ルーム。洋行帰り間もない若く美しい外交官がテラスの籐椅子で大勢の人々が美しい蛾のように踊っているのをぼんやりと眺めていると、まだ女学生のようにあどけなさの残る「優しい夕顔の花」のようなひとりの少女に出逢う。それから間もなく、舞踏室の入口で今度は四十ばかりの背の高い男に突き当たる。

それにしてもこんな不思議な顔ってあるものだろうか。頬は釉薬をかけた陶器のやうに固く硬張り、聳えるやうに高い鼻も紙のやうに薄い唇もみな青磁色に冷たく光つている。(中略)しかしこれが仮面ではない証拠に眼だけは生々と輝いている。さやう、まるで蛇の眼のやうにチラチラと燐色の炎をあげている。(中略)何にもまして無気味なのは白いその手だ。まるで柳の枝のやうに細く長く、どのやうな少女の手もこれほどしなやかでなあり得なからう。その小指には緑玉の指輪を嵌めていた。

陶器のような頬に、聳えるような高い鼻、紙のように薄い唇。そして、柳の枝のような白い華奢な手......。

この特徴がすべてぴたりと当て嵌まるのは(独断と偏見かもしれないけれど)「蒼白き美貌」「蒲田のドリアン・グレイ」と称された我がエーパンこと岡田時彦だ。


ダンスも終わり近くになり、外交官の連れの紳士が息せき切ってやってきて言うことには「美しいお嬢さんが一人盗まれた」とのことで、先ほどの少女が例の「西洋の幽霊のやうな陰気な男」に手を引かれて出て行ってしまったらしい。後日、外交官の元にそのひとの姉という人から懇願の手紙が来て、妹をぜひ探し出して欲しいという。少女の書き残していった列車の時刻表と思しき鉛筆の走り書きをたよりに、若く美しい外交官は黒谷山にある結核療養所へと向かう。そこは、あの夜に舞踏室の入口で行き当たった大江という医学博士の、サナトリウムとは名ばかりの精神療養所で、患者と称する十人もの輝くばかりの衣装を身にまとった美女を抱えた、まるでハーレムのような目にも眩い絢爛豪華な世界が広がっているのだった。大江博士は「精神磁気学」「隔感伝心」「霊媒」を用いて、美しい娘たちに精神療法を施し洗脳しているのだ.....。


大江博士、精神療法、とくれば、これは当時のエロ・グロ・ナンセンス時代にもてはやされた猟奇趣味をちりばめた雑誌『犯罪科学』(第2巻、第1号・昭和6年)に岡田時彦が執筆*2していた小説「キム博士の精神療法」ではないか!といつものようにやや強引に思い込む。


しかも、そんな素晴らしい美女たちをはべらせて大江博士が言う台詞が、「私はドン・ファンではありません。隠遁者です。」とくれば!何故って,この決め台詞「ドン・ファン」こそが、岡田時彦を形容して当時もっとも使われた言い回しのひとつなのだ。


さらに言えば、この物語の舞台となった1927年創業の横浜山下町のホテル・ニューグランドは、その昔、蒲田時代の英パンが北村小松や瀧田静江や松井潤子と連れ立ってニューイヤーズ・イヴのファンシーボールに繰り出したまさにその場所だった、というようなことが、北村小松『銀幕』(東方社、1955年)という本に書いてあるのだし、これはもしかするともしかするのかも.....?と思って、そわそわしてしまう。

*1:ISBN:9784336050441

*2:もしかするとこれも『新青年』のいくつかのコラムと同じく、南部僑一郎の代筆かもしれないけれど。