しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


HE COMES FROM KOBE


尾崎翠作品の初出誌を半日書庫に籠って色々調べていた時に、『新科学的文藝』に掲載されていた稲垣足穂の級友・衣巻省三の神戸に関するエッセイがちょいと素敵だったのでコピーしておいたのを今になって引っ張り出してみる。ええ、何故って、ようやっとシンポジウムも無事に終わり(長かった.....)これで心置きなく黄金週間に阪神間遊覧の旅に出るのです!布引町アカデミー・バーの竹中郁が描いた傘の壁画がわたしを呼んでいますし、それに、生誕100年・山中貞雄のお墓詣でにも行くのです。

衣巻省三神戸港風景」


緑色の山脈と海とにはさまれた市街は、東と西とに伸びるだけ伸びていたが、もうたまらなくなって両手をひろげた。海に突出た四本の突堤。海上のデパートメント。一方山を越えて向ふ側にあふれた街。山上都市が計画され、甲鐵電車は腹のほうから背筋を廻つて登山する。


街の中央、山と海と最も接近したところにある横の一線元ブラを、六丁目から一丁目の方へ行くにしたがつて、エキゾチックな息吹が濃厚に迫つてくる。各国商館・領事館のある居留地と、国際街三ノ宮と。メリケン波止場のランチと、これらのものから湧きたつた空気が纏足の支那婦人や、頭に白・赤のきれを巻いた印度人に至るまで、あらゆる皮膚をもつた人種を流してくるからである。


元ブラが元ブラだけで終つたら、断然たる元ブラボーイズの恥辱である。君たちは知つているであらう?縦の銀座である、山の根もとの美しいトア・ホテルから海岸通りのオリエンタル・ホテルに至る斜面のトーア・ロードを。ロードに並んだ印度宝石商を。外人雑貨店を。支那陶器店を。桃色のマダム・ローレンの家を。更にアスフワルト上の李さんを。乳母車をひいた清楚なマダムを。空色のカーを。併しこれはくろうとの舗道である。金のかかる画のプロムナードである。吾らが谷崎潤一郎は、このトーア・ロードを最も愛すときいている。之れは巨大な価値を裏づける。(中略)


附近の芝生の東遊園地へゆく煉瓦横丁には、今でもプラタナスの樹かげに蒼白いガス燈がついていて、開港当時の物語りを追憶させる。旅人の街。コスモポリタン・カウベ。いつまでたつても貴女は若い。僕は年に一度は豊富な彼女を感じに特急を飛ばすのである。


『新科学的文藝』(第一巻、第二号/昭和五年八月)より

やっぱりトア・ロードは神戸一のハイカラ通りだったんだなあ。我がエーパンこと岡田時彦の随筆『春秋満保魯志草紙』(前衛書房)にも、「急にトア路の夕暮れが懐かしくなつて漫然と神戸へ出掛ける。」なんて一文があるのを思い出したり。


という訳で、まずは来るべき遊覧に備え、神戸気分を高めるために衣巻省三『こわれた街』(詩之家出版部、昭和三年)を読んでみる。序文は佐藤春夫に朔太郎に稲垣足穂、跋文に佐藤惣之助。奥付の裏の新刊案内には去年読んでみて、その洒落たモダニズム感覚のきらめきにすっかりやられてしまった渡邊修三『エスタの町』も載っていてにやにや。『エスタの町』の序文も稲垣足穂佐藤惣之助が書いていて*1、本文に劣らずなかなかどうして洒落ていて素敵だったのに、これはコピーを取るのを忘れていた。いつかここに載せたいと思う。

INTRODUCTION/佐藤春夫

薔薇と蜥蜴と泪とあれと

自動車の轍のあとに落ちこんだ唯美主義

ちよいと端のかけた常識家

蝶はネクタイにネクタイは蝶にならぬ

こわれた街に こわれた人

きのふのんだたくさんのカクテール

反芻をこぼしながら通行する

FOX-TROT

"HE COMES FROM KOBE"


「フォックストロット」なんていうことばが序文に出てきてしまう衣巻省三という人はどんなモダンボーイだったのでしょうか!と言いたくなってしまう。"HE COMES FROM KOBE"というのは、稲垣足穂竹中郁のことを指して言っている(「郁さんの事」)ものとばかり思っていたけれど、衣巻省三に対することばでもあった訳だな。というか、この詩集における足穂の序文はまさに"He Comes from Kobe"という一文からはじまるのだけれど、と言いつつ引用するのはその序文ではなく、上記のエッセイの一文をそのまま思わせる「メリケン波止場」という詩から。

閉ざされた各国領事館

独逸商館 印度宝石商

支那人両替店 外人雑貨商

オリエンタル・ホテルのフォックストロット

これら手を組み合せた夜の海岸通りの

ペーヴメントや街路樹や菫色の軒燈に

ゆく春の雨がふります

(p.99「メリケン波止場」)


*1:とばかり思っていたのだけれども、確認したら、コメット・タルホが書いていたのは序文ではなく短いコメントでした。