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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

雄松堂が出版しているマイクロフィッシュ版『精選近代文芸雑誌集』シリーズ(http://yushodo.co.jp/micro/kensaku/zassi/zassi-mok2.html)は、「あ、この人がこんなところに」とか「あら、この人にこんな一面が!」などと閲覧しはじめると幾ら時間があっても足りない/キリがない面白さで大へんなのだけれども、ちょうど良い機会なので尾崎翠の書いていた雑誌の現物を見てみんとして、ある雨の土曜日の午後を潰して閲覧室に籠ってひたすらフィルムを見る。彼女の代表作「第七官界彷徨」の前篇が収録された『文学党員』(第一巻、第二号/昭和六年二月一日)には、のちに全篇が発表された板垣鷹穂の『新興芸術研究II』掲載時には削除された一文「私の生涯には、ひとつの模倣が偉きい力となつてはたらいていはしないであらうか。」がまだそのままのかたちで残っているのが見て取れるし、また、四月号(第一巻、第四号/昭和六年四月一日)では、上落合時代の翠の親しい友人だった(と思われる)樺山千代による、尾崎翠の人となりを書いたコラムが読めて、これがなかなか興味深い。

尾崎翠

私と尾崎女史との交友は、出来のいいカクテルのやうに程よく調合され溶け合つているので、特に女史だけを取り出して批評する事に一寸困難を感ずる。(中略)

........女史の創作に一点のすきのないやうに、女史は裁縫をしても料理をしても常に綿密である。誠あり、血あり,涙あり、そのくせ、末梢神経的な五月蝿さはないし、こんな人を女房に持つたらいいなアと、私は時々、男でなかつた事を後悔する。(中略)

女史は徹頭徹尾正直者である。そのため私といふ嘘でも一寸撫でられていたいやうな甘い人間は、時にまごついたり腹を立てたりして、上出来のカクテルの表面に泡を立てる。が、正しい感覚を取り戻した時には、何時も女史の正直さと、根本的な親切に頭を下げ感謝する。(中略)

..........その爆発*1から最初会つた夜、私達はT氏を訪ねたが。私達は実に幸福に、T氏の完全に散らかった留守宅に上り込んで與太をとばしあった。

「盗んで行きたいものもないわね」

「蓄音機かこの豆煙管くらいのものかな」

「いやにハイカラな椅子があるぢやない?」

「どこからかつぱらつて来たのかな?」

女史は、どこかの風景を思はせると故生田春月氏が云った歯並の美しい口(但し現在では横歯が一本抜けかけているために美観をいささか損じている)で笑ったものである。

私が其時の事を思ひ出し

「だけどあの時はほんとにうれしかつた」と云へば女史は

「お互様」といふ。

「だけどお互爆発につひては一寸もふれないでケロリとしてたぢやない?」と云へば

「一寸、テレたのさ」といふ。まあこんなものである。

(樺山千代)

T氏とは、『文学党員』の同人で一時尾崎翠の恋人だった高橋丈雄のことなのか知ら?

それにしても、全集の編纂者によって造り上げられた「悲愴」(「......「このまま死ぬのならむごいものだねえ」と呟きながら大粒の涙をぽろぽろと流した」)や「孤独」(「黙して何時間も机の前に坐りつづけていることが多くなった。座布団の位置も何ヶ月も変らなかった。いつかその座布団を退けてみると、下の畳が腐っていたことさえあった」)という半ば伝説と化したイメージで語られることの多い翠だけれども、こんな短文であっても、そこからいきいきと立ちのぼって見えて来るのは、大らかで、面倒見のよい姉御肌で、茶目っ気と機知があって、さばけていて、からりとした気性の、普通の一生活者としての女性の姿だ。翠にもちゃんと東京生活を謳歌している時期があったのだ。そのことが、わたしには嬉しい。


という訳で、シンポジウム「尾崎翠の新世紀」(http://osakimidori.info/)はいよいよ来週末です!

なお、公式サイトの方に当日の注意事項がアップされております*2ので、事前にご確認くださいますようお願いいたします。

*1:樺山千代が翠の家を訪ねて行った際、ひょんなことから二人は喧嘩になったらしい。

*2:http://osakimidori.info/?page_id=1335