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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


映画メモ:

共栄堂で黒いカレーを食べてから、神保町シアターにて、溝口健二『武蔵野夫人』(1951年、東宝)を観た。実はまだ観ていなかった溝口作品の一本。「原作:大岡昇平 潤色:福田恆存 脚本:依田義賢」「撮影:玉井正夫」とか錚々たる名前がクレジットに出て来るとやっぱりどうしても胸が高まってしまうのは、まあ、良き時代の良き映画へのノスタルジーなのかも知れませんが。わたしは田中絹代のもさもさした喋り方がどうも苦手なので、彼女に貞淑な人妻の苦悩を描かれても正直しんどいなあという感じ。片山明彦の演技も観ていてこちらが恥ずかしくなるほど微妙。あの溝口がこれくらいの拙い演技でOKを出したとはとても思えないのだけれども。まあいいや。森雅之山村聡の軽薄コンビは息もぴったりだ。山村聡は成瀬の『山の音』や小津の『東京物語』なんかのわりとシリアスな演技よりも、市川崑『足にさわった女』中村登『河口』などこういう軽薄な役どころのほうがよほど合うような気がする。



だが、このさながら「メロドラマの時代」とでも呼んでみたくなるようなこの作品。一見あまりに古風で通俗的なモティーフの文芸映画という殻をかぶっているので、あやうく見落としそうになるものの、そこはそうはいっても溝口作品、キャメラがむちゃくちゃ素晴らしいのである。撮影は成瀬巳喜男監督作品などの名カメラマン・玉井正夫。溝口お得意の俯瞰気味の移動撮影がはじまると「おお、これ、これ」と嬉しくなる。移動撮影といっても、ロケと室内*1とではまた随分と違った印象で、映画は自然を映していても、そこに映し出されるものは反自然なのだなあ、などとつらつら思う、映画の眼。



劇中で、散策中に突然の雷雨に見舞われた田中絹代と片山明彦が安ホテルに避難するシーンがあるのだけれども、カメラが捉えた大粒の雨と風と安ホテルの階段の踊り場とはまるでルイス・マイルストンの『雨』(1932年)の冒頭のシーンのようだわ!と思ってにんまりした。あばずれ風に腰に手を当てて、すごいヒールの靴を履いて大股で部屋中を闊歩して、毒々しいルージュに顔中がマスカラで縁どられた目玉みたいなジョーン・クロフォード。あんな凄い役、日本でもし出来る女優さんといったら、越路吹雪くらいかも、とても絹代さんじゃ無理だろうなあ、などと、またしても勝手な想像をして勝手に残念がってみる。

*1:室内で俯瞰気味に行われる移動撮影で、すーっとカメラが滑らかに動くのを観ていると、まるで着物の衣擦れの音が一緒に聞こえて来るような心地がして、いつ観ても本当にため息が出るほどに美しいと思う。