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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


ふたたび、ハンマースホイのこと



ハンマースホイは線の画家だ。



「私にモチーフを選ばせるもの、それは線です。それを私は絵画における建築的成分として名付けるつもりです。そして、もちろん光も重要です。ただし明らかに、私にとってきわめて重要な意味をもつのは、線なのです。」



カタログに文章を寄せているフェリックス・クレマーによると、ハンマースホイが最初にカンヴァスの上で行うこととは、「黒鉛で輪郭線の下書きをすること」なのだという。「ハンマースホイの作品には構想スケッチというものがほとんど存在しない。したがって、この画家は、最終的な完成イメージを決めるのがきわめて遅いこととなる。木枠から裏に巻き込まれたカンヴァス部分にも彩色が施されているのも、構図の決定が最終段階まで遅らされていることが理由のひとつである。」(フェリックス・クレマー「静かなる詩情ーヴィルヘルム・ハンマースホイ」p.21)



ここで重要なのは、「構図の決定が最終段階まで遅らされている」ということだ。



また、ハンマースホイの芸術は「写真」という当時の花形メディアにかなり近づいていたという。写真家もハンマースホイの絵画に影響を受け、また彼も写真を手本としていくつかの作品を制作していた。写真家がハンマースホイの芸術に魅せられた理由のひとつには、その構図(=フレーム)の厳格さにあったと思われる。上記のフェリックス・クレマーの文章からも判るように、ハンマースホイの画の構図は最後まで決まらなかった。線の画家であったハンマースホイの構図(=フレーム)の厳格さ、その計算し尽くされたであろう狂いのない厳密なフレームを思うとき、彼の画は、まるでのちの「映画」というさらに新しいメディアの時代の到来を予測しているかのようにも思える.....!なーんて、大袈裟なことでも言ってみたい衝動にかられてしまう。



1916年にハンマースホイが亡くなった時、若き日のカール・ドライヤーハンマースホイの追悼展に足を運び、『裁判長』(1918年)の製作に非常な影響を受けたという話があるそうだが、ドライヤーの厳格なフレームを思うと、なるほど、そうかもしれない、と納得する。となると、カール・ドライヤーの映画を観直してみたくなるのが人情というものだけれど、残念なことにドライヤー作品は日本での上映権が切れてしまったそうで、もうスクリーンで観ることが叶わない。ちなみに、どーでもいい愚痴だけれど、今年のアテネ・フランセでの最終上映『ゲアトルーズ』は早々に受付のお姉さんから「ここから立ち見です〜」と言われてしまったのですごすごと退散してしまったのだった。三十も過ぎてアテネフランセの固い通路に何時間も坐るなんて考えるだけでも苦痛だし、シネフィルの男の子たちに混じって立って観るだなんて絶対に嫌!と思って、とっとと諦めて帰ってきてしまったのだった。あーあ、今回の展示のことを考えるとやはり観ておけばよかったかも....。



それはともかく、ハンマースホイの画を観ていると、あくまでもイメージだけれども、ほんとうに色んな映画が走馬灯のように脳裏に浮かんで来るのだ、ビクトル・エリセ『エル・スール』、マノエル・ド・オリヴェイラ『アブラハム渓谷』、テオ・アンゲロプロス旅芸人の記録』etc, etc....