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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

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モダン都市・函館周遊 その1



連休を使って函館に行く。海野弘久生十蘭ー『魔都』『十字街』解読』所収の「モダン都市函館」を読んで、それから川崎賢子『彼等の昭和ー長谷川海太郎・りん二郎・濬・四郎』を再読していたら、むくむくと函館行きへの思いが頭をもたげてきて、やっぱりこれは行かなきゃ!といつもの思い込みでもって函館行きを急遽決めてしまう。ほんとうは京阪神の方面にも行きたいし行かねばなのだけれど、北のほうはとりあえず寒くなる前に、とか何とか。



今回の周遊で何と言っても嬉しかったのは、ちょうどぎりぎりのタイミング(〜9/23)で北海道立函館美術館の常設展示で長谷川りん二郎の絵画を30点程見られたことだった。昨年、遺族より一括で寄贈された作品の一部ということなので、画集に載っていない絵もあった。りん二郎の片髭しかない黒トラの猫(何て気持ちよさそうに眠っているんだろう!)の絵は金井美恵子『切り抜き美術館 スクラップギャラリー』にも巻頭で紹介されているので一部では有名だと思うけれど、この絵は宮城県美術館洲之内徹コレクションの一枚なので当然今回は観ることが叶わなかった。ああ、見たかったな、《猫》(1966年)。それでも、りん二郎の絵を、小品が多かったとはいえ、まとめて観ることができたのは素晴らしい幸運だった。


大正12年(1923年)に描かれた《マンドリン*1と題された絵はキュビズムの影響色濃く、松本泰・松本恵子*2夫妻に「未来派」の少年画家と言われていたのも納得といった感じだし、同年に描かれた《私達の部屋》と題された作品には、白い簡素な洋風建築の左端にまるでアンリ・ルソー熱帯雨林のジャングルで見るような木々が描かれていて、およそ日本を感じさせない国籍不明な雰囲気が、いかにも様々な異国の文化が混在している函館という特異な開港都市をあらわしているようでおもしろいと思う。りん二郎はルソーに傾倒していた時期があったというから、ルソー風の木々というのは、ただそれだけのことなのかも知れないけれど。



1970年代以降の晩年の作品は、しんとした静謐な静物画ばかりで、モティーフの並べ方、間の取り方が何処となくモランディに似ている。けれども、色彩の方は、スモーキーな色遣いで調和の取れた印象を受けるモランディというよりは、もう少し色遣いはぴかぴかと冴えているし、タッチが丁寧で細かく、どことなく岡鹿之助の絵のようにも見える。《洗剤の瓶》(1978年)と題された作品は、モティーフの二本の洗剤の瓶の裏側を見せておいてあるので、白いラベルに細かい字で成分が表記されているのを判読はできないまでも、かなり執拗に細かく描写しているのが判る。「変わった人だなあ」とふっと可笑しくなる。片髭の《猫》(1966年)にまつわる洲之内徹のエピソード*3を引くまでもなく、1921年に起きた函館の大火の際にも、元町の長谷川一家の家屋が全焼したというのに、一人函館山に登って燃え広がる街の様子をスケッチしていたそうだから、その驚くようなマイペースぶりはよく知られていることなのだけれども。


それにしても、長谷川りん二郎の描く絵は、見れば見る程不思議な絵である。だいいち、構図がおかしなことになっている。明治製菓広報誌「スヰート」の表紙を飾った《薔薇》(1938年)の絵は、薔薇の生けられた花瓶の下の部分が描かれていないために、また、背景の薄いベージュがかった色と花瓶の色との差があまりに少ないために、およそ影というものが存在せずに、「どこか宙釣りになっているような、浮遊感をただよわせている。」(川崎賢子『彼等の昭和ー長谷川海太郎・りん二郎・濬・四郎』)し、金井美恵子『切り抜き美術館 スクラップギャラリー』にも掲載されている絵だけれども、《乾魚》(1972年)と題された静物画は、肝心の「乾魚」が横たわっている細長い皿の上部が画面から切れてしまっている。だいたい、あの《猫》(1966年)の絵にしたってそうだ。猫そのものは、それはそれは今にも寝息が聞こえてきそうな程に親密に微細に描かれているのに、猫が横たわっている赤の部分に、まったく陰影がなく、均一にベタ塗りされているような印象(と、言っても実物を観たことがないから正確には判らないが。よくよく近づいて見れば違ったタッチも見られるのかもしれない)を受けるために、猫だけが幸せそうな寝息を立てながら、そのまま画面からふうわりと浮き上がっているように見える。「私にとって一番大切なものは、明るい均等の光線だ」(「制作日誌」1978/5/8)という、りん二郎の理想とする「均等な光線」によって描かれた絵には、陰影の存在は不要なものだったのかもしれない。



函館美術館のあと、函館市中央図書館に行く。ここの図書館はかなり古い資料のデジタル・アーカイヴ化(http://www.lib-hkd.jp/digital/index.html)が進んでいる立派な図書館なのでぜひとも行こうと決めていた。それだけではない。長谷川四兄弟の父、長谷川淑夫が主筆をしていた時分の「函館新聞」も閲覧に手続きに面倒なマイクロフィルムではなく、大判(もしや原寸大?)で一枚一枚コピーをしてまとめたものが明治時代(!)のものから年代順にまとめて棚置きしてあるのだ。エ、エラすぎる....。これは館員の方のご苦労と熱意は相当なものであったはず。そのことだけでも特筆すべき素晴らしい図書館だと思う。久生十蘭が本名の阿部正雄で記者をしていた時代の記事が何か見つかるかなあと思って適当に大正時代の分厚い冊子を捲っていたら、文化欄にちゃんと阿部正雄の署名入り記事を発見してにんまり。十蘭が書かせたと言う長谷川海太郎の変名記事(阿多羅緒児、田野郎、怪太郎)は見当たらなかったのが残念だったけれど。ちゃんと事前に掲載時期を調べていれば見つけられたかもしれない。もうこれ以上図書館で膨大な冊数の「函館新聞」を捲っていると日が暮れてしまうので後ろ髪引かれつつも今回は諦めたけれど、長居したい素晴らしい図書館だった。ふたたび函館を訪れる機会があるならば、ぜひまた行ってみたい場所のひとつとなった。(その2へつづく)


*1:マンドリンと言えば、函館中学時代にりん二郎(ギター)は水谷準マンドリン)と共に十蘭の指揮で、このブルー・グレーにレモンイエローのコントラストも鮮やかな旧函館区公会堂にて演奏会を開いたのだそう。これはそのときに水谷準が使っていたマンドリンなのかなあ。

*2:最近になって気付いたのだけれど、函館出身で長谷川海太郎の妻・和子とも仲が良かったこの翻訳家はローリング・トゥエンティーズを代表する作品で、日本でも「イット」現象を巻き起こした、エリナ・グリン『イット』を翻訳していたのだった!恐るべし、函館モダニズム人脈。

*3:この作品を譲って欲しいと言った洲之内徹にまだ髭が出来上がっていないし、猫が同じ姿勢になるのは春と秋の年に二回しかないと言って断ったという。そのうち何年かして「髭を描きました」と言って持ってきた絵の中の猫には左側半分の髭しかなかった。結局、モデルとなったりん二郎の愛猫「太郎」は髭を描いてもらう前に死んでしまったそう。