しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


映画メモ


岸松雄『私の映画史』(池田書店、1955年)



山中貞雄を発見した映画批評家として有名な岸松雄の自叙伝に後半「愚問愚答」と題されて『キネマ旬報』に連載された監督対談が付け加えられている楽しい本。1906年(明治三十九年)生まれのこの著者の自伝部分には、府立一商時代に関東大震災を経験した時の回想がでてくるのだけれども、一商の始業式の帰り道、まさに地震に見舞われたその時に一緒に電車に乗っていたのが植草甚一で、何と岸松雄とは小学校時代からの友人だったそう。府立一商というのは商業学校だというのに変わった学校で、教科書も洋書を使ったし、講堂には映画上映の設備もあって、一流の弁士付きで新しい洋画を生徒たちに見せたという。当時としてはハイカラで進歩的だった府立一商の学校長は陶山武二郎という人物で、その長男はのちに『新青年』などにも書き、シナリオ作家になった陶山密(及川道子井上雪子主演、モダン都市・横浜の魅力溢れるサイレント期の傑作、清水宏『港の日本娘』の脚本家だ!)だったと聞けば「なるほどー」と頷ける。小津の『東京暮色』に出演している俳優の信欣三の出身校でもあるそう。文化学院の男性版みたいなものだったのか知ら。



さて、前半の自伝部分も筈見恒夫との喧嘩友達ぶりを示すエピソード(ルビッチ『三人の女』を絶賛してやまない岸松雄に「あんな不道徳な作品を褒める奴を軽蔑する」と筈見恒夫が言ったのでつかみ合いの大喧嘩になったそう、いい話だ)などもかなりおもしろいのですが、後半の監督対談がまた楽しい。ちなみに、溝口健二からはじまって、五所平之助清水宏成瀬巳喜男マキノ雅弘稲垣浩佐分利信衣笠貞之助伊藤大輔今井正という、日本映画の(二度目の)黄金時代を語るに相応しい錚々たる面子といった感じ。



その中の、マキノ雅弘の回がダントツでおもしろかったので備忘録として引用。木暮実千代佐分利信の主演『離婚』(新東宝、1952年)のクランクアップ直後の対談とのこと。

岸 『離婚』クランク・アップですって?ずいぶん忙しかったでしょ。


マキノ それほどでもなかった。


岸 どうです、現代劇は、........やりにくかありませんか。


マキノ 別にそうは思わんけど.....でも、こんどの『離婚』やるまでには三ヶ月ほど考えた。


岸 あんたも二十一、二の時分から監督やってるが、現代劇の本数はあんまり......


マキノ そら少ないわ。今まで、百本以上、撮っとるけど、その中で現代劇といったら、『野戦軍楽隊』、新藤君の脚本でやった『待ちぼうけの女』.....評判になったの、そんなもんやろ。(中略)大体、わし、やるんやったら、うんとクラシックのもんか、うんとハイカラなもんか、どちらか極端なもんでないと、.....中途半端なもの、一番アカン。


岸 すると『離婚』もその極端なんですか。


マキノ きのう、これまでのところ、つないで試写してみた。みんな何や不思議そうな顔しとったで。ええ写真らしいが、クライマックスらしいクライマックスもないし、アッサリしとるし、これでええのかと思うて、わからんのやな。感情のカット・バックでも見せよういうわしの狙いが.....


岸 感情のカット・バックって?


マキノ そう、例えば椅子に人が腰をかけている。その姿を撮ってカット、そして次にその顔にアップで寄るとする。アップに寄るには寄るだけの感情の、つまり必然さというものがなけりゃあかん。それさえあれば、そこに出る俳優が特にうまい演技せんでも、見ている者には楽に感情に迫って来る。


岸 格別、名優を必要としないというわけですね。


マキノ 自然とその場のそういうカット自体が感情を盛ってくれるんやから..,..


岸 俳優は面喰らうでしょうね。


マキノ 面喰らうというより、頼りないらしい。......初日の撮影なんか、見ていておもろかったで。俳優が皆、オーヴァーなんや。斎藤達雄江川宇礼雄、英のママ(百合子)までくさいんや。杉狂(児)はまあ昔からわしのやり方見とるから当らずさわらず演っとったが。その他はみんなオーヴァーや。だから抑えて抑えて演らしてみたら、後で、あれでええのかと訊きよる。なんか「しばい」しとる気にならんらしいんやね。


岸 そうでしょうね。


マキノ 木暮さんみたいに、松竹で叩きあげたひとでさえ、初めのうち地味すぎるような気ィしてならんかったらしい。


岸 勝手が違うんですね。ところで『離婚』は最初『若奥様御立腹』という題名だったんじゃないですか。


マキノ 『離婚』はわしのネタ*1や。(後略)


「忙しい人マキノ雅弘」より一部引用

小国英雄の脚本でマキノが新東宝で撮ったこの『離婚』は、幸いにして今年の「生誕100年記念特集」の際にフィルムセンターで観ることができた。「感情のカット・バック」論に「なるほどそうだったのかー」と頷き、確かにいつものマキノ節とはひと味違った洒落た現代劇だったことを思い出す。美術も河野鷹思だったからか喫茶店のシーンなんかも随分とハイカラだったし、ラストシーンも木暮実千代佐分利信シュプールを描きながら滑り降りているのを俯瞰で撮っているもので至極あっさりとしていたけれど、いつものマキノらしからぬ妙な余韻を残す映画だったと記憶している。そして、何よりニンマリ嬉しかったのは、我が贔屓の喜劇役者であるところの杉狂児*2が一人褒められていることで「わーやっぱりマキノもそう考えてたんだ!」。過去日記(id:el-sur:20080224)にも書いたけれど、本当にあの映画では杉狂児の演技が一等良かったように思う、ってこれを言いたいがためにせっせと引用したような気も.....えーと、ちょっとした自慢(笑)?



そんな与太話はさておき、マキノといえば、今年の京都映画祭の特別記念シンポジウム*3では立命館大学アート・リサーチセンター「マキノ・プロジェクト」*4の冨田美香先生がお話しされるそうで、ああ、観に行きたいなあ、行きたいなあ京都、てな訳なのです。


*1:轟夕起子との離婚のことを言っている。

*2:識者の方に聞いたのですが、「くいだおれ人形」太郎のモデルだったらしい!

*3:http://www.kyoto-filmfes.jp/simpo.html

*4:http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/makino/index.html