しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

土曜日、カナさんと金井美恵子+金井久美子+井口奈己トークショーをジュンク堂に見に行く。



映画監督の井口奈己が聞き手というのもあって、映画に関する話題が多かったように思う。『楽しみと日々』と今回の新刊『昔のミセス』において、成瀬巳喜男について語られている文章が多いのですが、やはり成瀬が一番のお気に入りですか?とか何とか井口奈己が金井姉妹に質問すると、返ってきた答えは二人とも「小津よりずっと好き」。成瀬と小津のサイレント作品を比較して、「無声映画なのだけれど、物語的というかグリフィス的」と久美子さんが言い、「ストーリーやカメラの動きが細かい」と美恵子さんが言っていた(と、思う)。「小津のサイレントは例えば岡田時彦(この単語に一人でひそかにキャーとなる)なんかを使って、楽しんでつくっている感じで言ってみれば幼稚な魅力」で「戦後の『お早よう』なんかの魅力もその幼稚さというか、戦前のサイレントでやっていた幼稚さをそのまま戦後に再びもってきた」というような趣旨のことをお二人とも仰っていた。『お早よう』のおならのエピソードは実際『淑女と髯』を撮っていた時に徹夜続きでスタッフがおならをしたことを思い出して使ったとか何とかいうエピソードを何かの小津本で読んだことがあるから、本当にその通りなのだろう。



小津のサイレント作品も「幼稚」な魅力溢れる『お早よう』もどちらもこよなく愛する人間としては、敬愛する金井姉妹にこう言われてちょっと寂しい気持ちもあったのだけれど、「幼稚」な魅力というのは、なるほどなあと思った。そして「幼稚」な映画を愛好するわたしは嗜好自体が「幼稚」なのだなとも思った(笑)....!



確かに、成瀬のサイレント作品(って全部観ている訳ではないですし、しかも失われてしまっている作品のなかにはもちろん「ナンセンスもの」もタイトルを見る限りでは多いようなのだけれども)は小津に比べ「他愛ない」作品というのが少ないような気がする。現存するサイレント作品『夜ごとの夢』にしても『君と別れて』にしても、溝口のやり方よりはやさしい手触りだけれども、ぐっと胸に迫るものがあるというのは確か。でも、それでも、わたしは小津のサイレント作品における、徹底されたアメリカナイズと洗練されたモダニズムと洒脱な舞台美術と東京とお洒落とユーモアとギャグと岡田時彦(!)と北村小松の脚本が、誰に何と言われようとも大好きすぎるので、断然これからも贔屓していく所存。



そして、森茉莉の話はやはりおもしろい。『貧乏サヴァラン』に出て来る「明治デラックスチョコレート」と角砂糖を砕いて混ぜた、森茉莉にとってはたぶん神聖なるお菓子を金井姉妹が味見した時の話、井口奈己の「美味しかったですか?」の質問に「ううーん」と声を揃えて首をかしげる姉妹。そりゃ聞かなくても判るけど、甘すぎるわな。この話を聞きながら、ふと、ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』に出て来る「クールエイド中毒者」という作品を思い出していた。脱腸の貧しい子供が五セントの「クールエイド」という粉末ジュースの素で、一ガロンもの薄いジュースを作るのだけれども、「かれにとって、クールエイドの準備はロマンスであり儀式だった」というのである。森茉莉にとっても、「明治デラックスチョコレート」と角砂糖を砕いて混ぜたというお手製のお菓子は、きっと彼女にしてみれば極めて神聖なる美味な食べ物だったに違いないのだ。そういう独特の美意識と感覚世界を持った人だからこそ、森茉莉はいつも決まって「にこやかな顔」ではなく「真面目な顔」をして、姉妹の洋服の趣味を褒めたりしたのだと思う。