しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


神戸モダニズム周遊



気になる神戸モダニズム、という訳で、安水稔和『竹中郁 詩人さんの声』(編集工房ノア、2004年)を読んでいるのだけれど、文中で四番目の詩集『象牙海岸』(昭和七年)に収録されているシネポエム「ラグビイ」を引いていて、副題のところで「アルチユウル・オネガ作曲」という文字が眼に飛び込んで来て「おお!」と思う。「アルチユウル・オネガ」の名前は、わたしは「アルチュール・オネゲル」と覚えていたけれど、ずいぶん昔に日仏で観たクリス・マルケルがロシアの怪監督アレクサンドル・メドヴェトキン*1へのオマージュとして撮った『アレクサンドルの墓』(これまた素晴らしい作品!)の中でも確かオネゲルの"Pacific231"が使われていてにんまりだった記憶があるし、何年か前にフィルムセンターでフランス古典映画の特集がかかった時に、マックス・オフュルスの『たそがれの女心』と一緒に、このオネゲルの曲に合わせて疾走する蒸気機関車を写した短篇『Pacific 231』が上映されるというので、これはぜひとも観なきゃと思っていたというのに、結局その時は都合で見逃してしまって、いつまでも悔しい思いでいたのだった。オネゲルの名前に邂逅するのはそれ以来のこと、こんな意外なところで出逢って驚いたものの、実際に竹中郁がパリでオネゲルの曲を聴いていた、と聞けば、なるほど、そうか、これが同時代というやつか、と思う。竹中郁のシネポエム「ラグビイ」はオネゲルの"Rugby"(1928年)に触発されて書かれたのだ.....!ということを知って何となくじんわり嬉しくなる。「脚。ストツキングに包まれた脚が工場を夢みている。」なんて、いかにもモダンだ。「工場」や「機械」という言葉がポジティヴな意味でしか使われなかった幸福な時代の頃のお話。



神戸モダニズム、といえば、やはり稲垣足穂も気になるところなのだけれど、彼のウルトラモダニストぶりと冴え渡る毒舌に感嘆しつつも、わたしはあまり良い足穂読者とは言えないので、とりあえず全集で細かいエッセイが載っていそうな最後のほうの巻を借りてきて読んでいたら、期せずして英パン発見となったのであった。おお、これだから読書は判らない。収録されている「キネマの月巷に昇る春なればー我がはたち代」という自伝風のエッセイによると、『一千一秒物語』を佐藤春夫に送ったところ、これは面白いということで、上京の誘いを受けて、上目黒の佐藤春夫宅に居候していたが、その関係で新橋の「カガシ屋」という眉墨の卸問屋に出入りしていたのだという。そこは上山浦路の留守宅で、浦路の妹で女優の上山珊瑚と、浦路の息子で赤坂中学の一年生という少年が住んでいた。足穂はそこの「色白の、つぶらなひとみの、歯ならびのきれいな」美少年と連れ立って、銀ブラをして千疋屋の色電気の下を歩いたり、早川雪洲のフィルムを見たり、神田の支那料理屋に行ったりするようになる。「カガシ屋」にはウレ(江川宇礼雄)もしょっちゅう出入りしていて、こんな作り話ふうのことを足穂に言ったのだという。


ウレは、横浜のガード下に、エーパン(後の岡田時彦)を呼び出して、稚児さんになることを誓わせたとか....立会人はおセイ(引用者注:葉山三千子)だというのである。おセイは先生(引用者注:佐藤春夫)のいまの奥さんの妹のことで、前はサオ(大谷崎)の義妹だった。
ウレは、離れの三畳に酒臭い息を吐いて私と夜具にもぐりこんでいるときに、エーパンの話をした。しかしどんなものかわしはまだ知らん、こう云って私を誘惑するのだった。
稲垣足穂『美少年時代』


佐藤春夫に『一千一秒物語』の原型を送ったのが1921年だそうだから、この話はまさに谷崎潤一郎が大正活映に没頭していた頃のことなのだな。上山珊瑚という人は、岡田時彦と鏡花原作のトーマス栗原『葛飾砂子』(1920年)で共演している女優さん。この映画は淀川長治が生前「いまでも『葛飾砂子』が日本映画の最高と思っている。そんなしゃれた映画はそれまでなかった。」(『中央公論』平成十年十一月号)と述べていたという作品。足穂と大正活映の人々がこんな風に繋がっていたなんて知らなかった!江川宇礼雄とは大正活映の横浜時代からの長い知り合いだし、エーパンは本当に美少年だったから、ありえないとは言えないけれど、まあ、あの頃はエスにしても稚児にしてもその手のことは割としょっちゅうあったことなのだから、さして驚くようなことでもないような気もする。小津安二郎だって、中学時分に「稚児事件」を起こしているわけだし。それより、足穂はエーパンこと岡田時彦の美少年っぷりを見てどう思ったのかが気になります。何処かに書いていないのか知ら、と言っても、そうか、足穂は少年愛の人だから、たった三つ違いのエーパン(足穂は1900年生まれ、英パンは1903年生まれ)では年が行き過ぎていて食指を伸ばさなかったのかも。関西学院で級友だった衣巻省三が「世話してくれた」別の少年に、足穂は第一回未来派展覧会に出品して古賀春江がそのモダンっぷりを褒めたという「空中世界」と題する油絵を贈ったというのも、この頃の話らしい(この辺りの話はこのサイト*2が大へん詳しいです)。



こういうどうでも良い瑣末な話が、わりと一番面白い(わたしにとっては)。

*1:どこまでもfar-outな怪作『幸福』(1934年)はわたしの映画ベスト10に入ります。

*2:http://www3.ocn.ne.jp/~tarho-ar/contents/biography/nishi-sugamo-shiden.html