しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


Her Little Red Book



南天堂繋がりで内堀弘石神井書林日録』(晶文社)を読んで、もう何年も前から読もうかどうかつらつら考えてそのままになってしまっていた『ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影』(白地社、1992年)*1をようやくここへ来て読む。後藤明生『小説は何処から来たか』と同じ<叢書レスプリ・ヌウボオ>コレクションの中の一冊。一息に読了して、虚空を見つめてため息を吐く、ああ、まったく、この本を読むまでに何と何と無駄な(とは思いたくないけれど)寄り道三昧だったことか.....!すさまじい後悔の念で一杯となってしまう。戦前のモダニズム文化華やかりし頃、1932年からわずか数年間という短い時を駆け抜けた「ボン書店」という名の小さな詩の出版社とその刊行主の青年・鳥羽茂の物語は、ほんとうにささやかで消えてしまいそうな、まるで雪のひとひらが地表に舞い降りた瞬間にすっと溶けて平たいひとしずくになってしまうように儚く小さな声のようだけれども、その記憶と痕跡と、そしてわずかに残された美しい書物とを、喧噪に掻き消されないうちに、ばらばらに散ってしまわないうちに、手遅れにならないうちに、丁寧に掬い採ってみせる。それこそ「活字を拾う」ようにこつこつと調べ上げられ、下手な感傷に流されることなく、的確に選ばれた言葉でもって丹念に綴られたこの本に、本当に言いようのない感動をおぼえてあやうく泣きそうになってしまう。そっけないほどにシンプルでセンスが良くて美しい、それを著者の言葉で言えば「瀟酒」な詩集を刊行するというただそれだけのために一切の情熱を傾けて、儲けを省みるどころか身銭を切ってまで他人の詩集を刊行することに心を砕き、貧困のうちに人知れずひっそりと死んでいった鳥羽茂という「詩の好きな」青年。この無名な青年の短くも忘れがたい人生を読書という行為で一緒に辿ることを可能にしてくれた著者にわたしは心からお礼が言いたいと思う。忘れ去られて語られることのなかった人生は誰かが語らなければならないのだから。



1933年(昭和八年)にボン書店から刊行された渡辺修三の詩集『ペリカン島』の広告にはこんな読者の声が載った。ボン書店の刊行する小さくてそっけないけれど飛び切りセンスのよい詩集は、尖端ガールであるところの水の江瀧子が小脇に抱えるのにぴったりだったのだ。想像するだけでわくわくするような光景.....!



「銀座のペーヴメントを、この詩集を手にして、ターキー・ミズノエが颯爽と歩いて行くのを、ボクは見ました。可愛い真紅の匣とクッキリと白い彼女の手と、そして黒いベレ。それをボクは眼を輝かせながら見送りました。」