しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

英パンが亡くなった時、棺に一緒に収められたという話を知ってからというもの、谷崎潤一郎『蓼喰う虫』(昭和三年、改造社、装丁:小出楢重)はわたしにとって特別な一冊となった。まだ岡田時彦のことを知らなかった頃、読み差しのまま止してしまっていたのが、ずいぶんと前から本棚の岩波文庫・緑のコーナーに大人しく鎮座ましましていたものを、遅ればせながらちゃんと読み直してみた。英パンが文章でよく使う言い回し「ありていにいえば」がそのまま散見されるのを読みながら、あらためて英パンがどんなに谷崎に心酔し私淑していたがが判るようで何だか泣けてくるのであった。また、谷崎の方も、文中で「日活の撮影所」だの「鈴木伝明や岡田嘉子の肖像」などという言葉を使うのを見るにつけても、また、大正活映時代に、英パンと谷崎が横浜・山下町に足しげく通ったであろう「ユーハイム」が出てくるのも、英パンへの親愛の情がここかしこから伝わってくるようで、やっぱりこの作品をいちいち岡田時彦に結び付けて考えざるを得ない。この本が書かれた年はちょうど岡田時彦もその著作『春秋満保魯志草紙』を前衛書房から出しており、その序文を谷崎その人が書いたのであった、曰く「時彦ぐらい最初からその輝かしい将来のハッキリ見えていたものはなかった。」そして、最後の文章の、ある言葉に差し掛かってはっとなる。凄くバカげているけれど、やっぱりわたしは岡田時彦という俳優に出会うべくして出会ったのだ、と確かにそう思う。それを妄想というのか思い込みというのか強弁というのか知りませんが、とにかくそうなのだ、何故って、最後の文章の、あの言葉。