しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


佐々木康の映画を見て清水宏のことばかり思い出す



佐々木康『悲恋華』(松竹蒲田、1936年)



原作が谷譲次の家庭小説執筆時のペンネーム牧逸馬で、好きな女優さんの一人であるところの桑野通子が出ているというのでいそいそと観にいった久しぶりの東京国立近代美術館フィルムセンター。ここんとこ、黄金週間含めて雑務に忙殺されており色々な映画を見逃しているのだけれど、桑野通子の新発見となれば、たとえ通俗メロドラマであってもこれはやっぱり見とかなアカン!という訳なのです。



桑野通子はすっと背が高く、まるで少女雑誌の表紙から飛び出してきたような大袈裟な洋装のワンピースからすてきな足首が覗いていてスタイル抜群、さすが森永製菓のスイートガールにして、ダンスホール・フロリダのナンバーワンだったミッチーなのである。丸顔にくりっとしたお目目で、決してすごく美人というのではないけれど、岡田茉莉子の言う処の「二枚目半」的な親しみやすい茶目っ気があって、くるくるとよく動く利発そうな瞳がとても印象的な女優さん。



お蝶さん(飯田蝶子)の笑顔はいつだって絶品、八雲理恵子は寂しげな着物美人でやはりメロドラマの薄幸な役どころがよく似合う。けれど、桑野通子はめそめそ泣いているのは似合わない。よって、後半は俯きがちで「悲恋」に涙を拭うシーンの多かった桑野通子の魅力が最もよく表れていたのは、日下部章と小林十九二と連れ立って河辺に立ち、伸びやかな四肢を使って、ややはにかみながら小石を投げるシーンで、「ああ、清水宏『暁の合唱』で木暮実千代が演じたヒロイン役をこの頃の桑野通子がやったら、きっとたいそう素敵だったろうなあ」などと思ったことであった。



1936年という微妙な年代もあるのかもしれないけれど、期待に反してあまり映画自体にモダーンな雰囲気は感じられずに残念。(でも、桑野通子が身に付けた、笹模様のグラデーションになっている着物(中振袖?)はなかなか可愛いし、堀野正雄*1とは言わないまでも、川島雄三の映画に出てくるようなアーチ状の鉄橋が出てくるし、レヴューを観にいった豪華でモダンな劇場はやはり帝劇なのかしら?とわくわくしたのだけれど。)とは言うものの、翌年に撮られた小津安二郎『淑女は何を忘れたか』(松竹大船、1937年)での桑野通子は斜めにかぶった帽子がたいへんにお洒落なモダンガールだったことを考えると、やはりこの辺りのモダニズムを消化するセンスは小津や清水宏の方が段違いに格上なのだと思う。あ、でも蛇の目傘をひらいて立つ八雲理恵子の後ろにはしっかり「クラブ歯磨」のショーウィンドーが映し出されるので「あ!まただ」と思って、それはにんまり嬉しかったけれど。



主人公が八雲恵美子(理恵子)なのも、ラストシーンが洋行の見送りでテープの波が風に舞うのも、まったく同じなので、思い出すのはやはり清水宏のサイレント作品『不壊の白珠』(松竹蒲田、1929年)。そして、思いがけず桑野通子の友人役の小林十九二(なかなかのドタバタ喜劇っぷりが見もの)の口から「恋愛第一課」なんていう台詞が聞こえてきて「キャー、岡田時彦及川道子主演・北村小松脚本・清水宏監督作品『恋愛第一課』だッ!」と、英パンと及川道子が神妙な面持ちで向かい合ったスチールを勝手に思い出して、またしても一人でにんまり。それにしても、わたしは飽きもせずいつも同じことばかし書いている。

*1:『カメラ・眼×鉄・構成:1930-1931』(木曜社書院、1932年)で見ることのできる、とびきりのモダニズムの何とまあカッコいいことよ!