しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

ジャン・ルノワールフレンチ・カンカン』(1954年)をはじめて観たのは、もう何年も何年も前のことで、その頃はまだ有楽町の駅前には「レバンテ」だって「ももや」(ああ、ホウ・シャオシェンの『珈琲時光』!)だってあったし、郊外のショッピングモールを凝縮させたように安っぽくて醜悪な再開発なんかされていなくて、今は無き「有楽町シネ・ラ・セット」という名の、狭い階段を上ってゆくとジャック・ベッケルの惚れ惚れするような素晴らしいポスターが貼ってあった小さな小屋で観た。ちょうどその日に金井美恵子のトークショーがあるということで、半ばそれを目当てに、銀座の勤め先から数寄屋橋の交差点を渡って小走りで息を弾ませんばかりに駆けつけたのだった。休憩中にロビーの喫煙所で煙草を吸う美恵子先生の姿を見かけたけれど、その時のわたしの鞄の中には、ああ、ドジだったらありゃしない、金井美恵子の著作はなく、ちくま日本文学全集尾崎翠』が入っていただけであった。恐れ多いオーラを発する美恵子先生の顔と自分の持っている翠の本とを交互に見遣りながら、「美恵子先生も確か尾崎翠が好きだったはずだけれど、でもいくら何でもこれじゃあサインはもらえないなあ」などと思ったことを今でも何故かありありと覚えている。



美恵子先生は、ラストのカンカン踊りのシーンで涙があふれる、とその時のトークの中でも仰っていて、それは当時の私にはさほどピンと来なかったーーとはいえ、洒落っ気と粋とユウモアとがちりばめられたラストシーンを含めてあんまり素晴らしくて友人たちに絶対観てね!と誰彼構わず吹聴したのは覚えているのだけれど、今回、ほんとうに何年か振りに再鑑賞する機会に恵まれたところ、ラストシーン近くに差し掛かって、レースで縁どられたズロースに包まれた可愛らしいお尻を露にしながら、リボンがステッチされた白いふわふわのペチコートと赤や青やピンクや色とりどりの衣装を身につけたカンカン娘の踊り子たちが、観客たちの狂喜と歓声の渦のなかで、眩しいほどの満面の笑みを浮かべながら次々と躍り出て来てシャンパンの泡のごとく乱舞するのを見つめながら、ほんとうに何故だかはよく判らないのだけれど、もうボロボロに泣いてしまったのだった。もともと涙腺が弱くて、映画を観て思わず涙ぐむ程度のことはしゅっちゅうなのだけれど、これほどぐしゃぐしゃに泣くというのは滅多にないことで、とにかく、もう、圧倒的にただただ素晴らしいとしか言いようがないシーンに、心のいちばん深いところをグワシと鷲掴みにされて、小さな叫び声を発することもできずに、最後の数分間はただずっと止めどなくいくらでも溢れでてくる涙を抑え切れずにいた。その時に買ったパンフレットを本棚の奥の方から引っぱり出して、そこに収められている金井美恵子のエッセイを読んでみたら、「年のせいか、久しぶりに見た『フレンチ・カンカン』の圧巻のラスト、ムーラン・ルージュ開店の日のシーン、コラ・ヴォケールの歌うモンマルトルの娼婦の歌が響きはじめたとたん、どうしたことか、涙があふれてとまらなくなってしまった。カンカン躍りの娘たちが景気のよい叫び声をあげながら、所狭しと弾けるように跳び出て来る度に、涙があふれるのである。」と書いてあるのだった。

......あらゆる世界の映画のダンス・シーンのなかで、踊り手たちの技術の上手下手を超えて、最も素晴らしいシーンである最後の何分間かに涙をあふれさせることの間の、個人的な何十年間に、特別な感慨があるのではなく、ただ、ジャン・ルノワールの映画を見るという体験が、最も重要なことなのであり、だから、涙はあふれるのである。(金井美恵子「発砲するバラ色の映画とあふれる涙」)

わたしもまた、ずいぶん年をとったのだろうか?