しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

今日もまた東京国立近代美術館フィルムセンターにて、マキノ正博『グランド・ショウ1946年』(松竹大船、1946年)マキノ雅弘『おかる勘平』(東宝、1952年)を観る。『おかる勘平』を今回の特集でどうしても観たくて、このプログラムは平日夕方しかかからないので、仕方がないので、平日なのにわざわざこの映画のために休みを取ったのだった。



この件について、シネマヴェーラの館主の方がコラムでフィルムセンターのプログラミングに一言あり、という感じで書いていた(2/26日付)*1けれど、これは納得。シネマヴェーラの昨年の清水宏特集は個人的にたいへん嬉しい上映で、なかでも、戦前サイレント時代の作品群『港の日本娘』『不壊の白珠』『銀河』の三本を観られたことはとても有り難かった。いずれのプログラムも確か土曜日の朝だったと覚えている。これらがもし今回のFCのように平日夕方の上映のみだったとしたら、三本とも観ることは不可能だったかも知れず、シネマヴェーラには本当に感謝した記憶があります。シニアに対する手厚いサービス(「映画の広場」はシニア連の憩いの場になっているし....)もいいけれど、平日勤め人の映画ファンのこともFCはもう少し考えてもいいのでは?と思う。だって、ファンの裾野が広がらないと後々困るのはFCなのではないかしら?とかエラそうに言ってみたりして。



さて、映画の方は、『グランド・ショウ1946年』はまあ他愛ない感じのミュージカル仕立てで、高峰三枝子が可愛いのと、ターキーが唄うのを観られるのが嬉しい。高峰三枝子に手取り足取りで唄い方を教えるのは、あら、ここにも丸眼鏡の杉狂児こと杉の狂ちゃんで「あー、また出てる!」とこちらも嬉しい。「こういう風にやるんです」と、藤原義江三浦環の真似をしてみせるのも可愛い。音楽映画にはやっぱりかかせないバイプレーヤーだよなあ。ディック・ミネが『青い空僕の空』を唄うのも、大好きな『鴛鴦歌合戦』を思い出してにんまり。



そして、お目当てのバックステージもののミュージカル映画『おかる勘平』。これはもう素晴らしかった!休みを取って観た甲斐がありました。頭では判っているのに、やれやれベタだなあと思っているのに、結局マキノにはいつも笑わされ泣かされてしまう、今日も。主役の二人、越路吹雪エノケンの二人の何と魅力的なことよ。特に、越路吹雪は本当にどの映画でも素晴らしいのだけれど、マキノの映画での越路吹雪は天下無敵に素晴らしいと思う。楽屋の個室で仰向けになって寝そべった後、くるっと身体を起こして顔を腕に載せるようにして物思いにふけるその目の表情と仕草。或いは、好きな舞台を辞めることを打ち明けにエノケンや舞台監督が居る飲み屋へ行き、眼の端に涙を溜めながら「泣いてなんかないやい!」と言った後、お付きの娘に顔を寄せるようにそっと目を閉じたその横顔を捉えるカット。はっとするようなシーンがこれでもかこれでもかという感じで出てくる。そして彼女の唄の素晴らしいのは言うまでもない。彼女の高音はまるで鈴の音のように軽やかだ。エノケンは30年代の頃の飛んだり跳ねたり元気だった頃の身のこなしはさすがにもう見られないけれど、エンターテイナーのプロとしての意地というか、枯れた演技の中に喜劇役者の悲哀のようなものが強く伝わって来てこちらもじーんとする。舞台をはけると榎本健一という人はとても慎み深い物静かな人だったらしいけれど、そんな姿が重なって見えた。そして、まだ輪郭が丸くあどけない「英パンのお嬢さん」こと岡田茉莉子



服部良一の音楽もまた素晴らしかった。特に、ラストシーン近くで越路吹雪が階段の踊り場から駆け降りながら集まった団員たちを掻き分けてエノケンの姿を探すところで流れていた音楽があんまり素晴らしいメロディなのであやうくそれだけで涙しそうになる。一流の音楽家の作る音楽はやはり凄い。



そして、ラストシーン。引きのカメラで真っ暗闇の中にスポットライトにあてられた人影が歩いてくる。その人物こそがエノケンで最後にコテッと得意のズッコけをしてみせるところで映画が終わる、この終わり方!何て粋なラストシーンなのでしょうか!大好きなジャン・ルノワールフレンチ・カンカン』で、ムーランルージュの外観を引きで撮るカメラにシルエットになった酔っ払いの男がふらふらっと横切っていってちょうど画面の真ん中に差し掛かったところで帽子を取ってお辞儀をする、というもう最高としか言い様がない、クラクラする程に素晴らしすぎるラストシーンを思い出して、頬を紅潮させながら思わず口をついて出るのは、マキノ雅弘は日本のジャン・ルノワールである!(キャー、エラそうに!)