しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや



日曜日、東京国立近代美術館フィルムセンターにて、川浪良太・滝澤英輔・久保為義『学生三代記 昭和時代[マキノ・グラフ版]』(マキノプロ、1930年)の中から「野球の巻」「下宿の巻」を観た。これはずいぶんと前から映画保存協会(http://www.filmpres.org/)のPR映像で「デジタル復元版完成間近!」との予告を見ていて、今回のマキノ雅広特集上映の時にきっと見たい(id:el-sur:20070531)と思っていたもの。「マキノ総指揮で製作されたオムニバス形式の短篇喜劇集で、『天保時代』『明治時代』『昭和時代』の3篇が同時に公開された。今回上映するのは、映画保存協会、立命館大学アート・リサーチセンターマキノ・プロジェクト、フィルムセンターが共同で16mmから35mmにデジタル復元したもので、『昭和時代』篇の8つのエピソードのうち、「野球の巻」「下宿の巻」の2話が収録されている。」(フィルムセンターのチラシより)



「野球の巻」で、動く砂田駒子*1をはじめて観る。ベレーを斜めに被った洋装のモガで犬ころ(←褒めている)みたいな愛くるしい雰囲気の女優さん、英パンこと岡田時彦とは阿部豊監督作品『女房可愛や』(1926年)で共演している。この人の旦那さんで当時日活の監督部に居た徳永フランクは、ジャック阿部豊と同じアメリカ帰りで、バタ臭いB級映画を量産していたらしい。謎めいた英語で俳優に指示をするのがかなり異様な感じだったらしく、色んな映画人の回想録にトホホな感じで登場する。そもそも、戦前の草創期の映画監督の質というのは、かなり玉石混淆状態であったようだ。日活だと村田実や溝口健二は勿論名監督であったが、この徳永フランクや伊奈精一といったような人々は、岩本憲児・佐伯知紀編『聞書きキネマの青春』(リブロポート、1988年)の中野英治のインタヴューなどを読んだ限りでは、あまり才能のある監督たちではなかったという。また、畑本秋一(脚本家としては活躍した)という人も『近代クレオパトラ』というおよそタイトルを聞くだけでB級感が滲み出ているような作品を1928年に撮って、岡田時彦にその映画の座談会でこっぴどくやっつけられて、ついにはそのために自殺未遂まで引き起こした。



さて、またしても脱線状態の話をもとへ戻して、そうそう、マキノの『学生三代記』の話をしているんでした。映画のストーリーは、試合の前日、砂田駒子が恋人の大森君に「明日、きっと打ってね」と橋の上で握手して約束したのに、翌日、大森君は二度のチャンスでいずれも凡退したので怒って「あなたとの関係も、妾、ゲームセットにします!」とプリプリ行ってしまう、という他愛ないコメディ。最初のカットで電車の車両が映って、それから駅のホームの掲示板に勝美対明星という文字が白墨で書かれているのが映る。その掲示板の脇には「クラブ歯磨」の宣伝文句が見えるのが「わー、まただ!」と嬉しい。大森君の二回の打席を見つめる砂田駒子のオーヴァー・アクションがこれぞサイレントの愉しさという感じで可笑しい。興奮のあまり握りしめたハンカチを切り裂かんばかりにする、とか、前に坐っているソフト帽の紳士の帽子を掴んで取ってしまうと、その紳士の頭が禿げている、とか、凡退してしまったのがショックで失神寸前になって後ろに倒れ込む、とか超古典的なギャグが満載なのです。サイレント映画のこういう古典的ギャグがわたしはどうも好きすぎる。



「下宿の巻」もなかなか面白い。最初のシーンで、学生服の男の子が走っている。その後ろをお召し姿の若い娘が追いかけている。円タクに飛び乗って娘から逃げる学生。同じく円タクに乗って追う娘。下宿に着くと、田舎から親父が出てくるってんで、ぐうたらの二枚目学生さん大焦り。普段は部屋に入ってくるなという貼り紙をしているくせに、女中二人に頼み込んで女優のブロマイドやらマッチやら部屋のがらくたを大急ぎで片付けてもらう。おまけに隣りの部屋の学生からは参考書と机一式まで借りてくるちゃっかり具合。円タクで後から追って来た恋人も隣りの部屋に押し込めて、何とか間に合って親父さん到着。きれいな部屋に参考書が並んでいるのを満足そうに眺めて「相変らずよく勉強しているんじゃのう」「そうじゃ、母さんから小遣い預かって来た」とお金を渡す。学生、お小遣いの中身を確認して、にんまりご満悦。次のカットで学生の脳内妄想と思しき映像が入るのだけれど、ここがめっぽう面白い。女給の高らかな笑い顔とビールのグラスと泡とカフェーのネオンサインとがオーヴァーラップするのが、まるで中山岩太の芦屋カメラクラブなんかの新興写真さながらで、これは1930年という年代にしか撮れない映像だなと思って個人的にたいそう興奮したのだった。

*1:画像は映画保存協会のサイトよりお借りしました。