しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

成瀬巳喜男三十三間堂通し矢物語』(東宝、1945年)を観にアテネフランセへ行く。二枚目の長谷川一夫があまりにも「ザ・二枚目」なので、ラストの田中絹代が独り言つ「立派なお方」という長谷川一夫を称賛する台詞を聞いて、思わず笑ってしまったけれど(だって、二枚目でさらに人間までご立派でまるで非の打ち所がない、といった描き方をされているんですもの!)我が贔屓のバイプレーヤー田中春男がまたしてもいい味出していたしで、個人的にも愉しい映画であった。成瀬作品の中ではあまり言及されていない地味な映画のような気がするけれども、これは隠れた傑作なのではないか知ら。



今週は本当は『まごころ』(東宝、1939年)『鶴八鶴次郎』(東宝、1938年)と今日のこれと続けて三本通うつもりで居たのに、家事をこなしつつ、朝のお弁当も作りつつ、図書館のお当番もこなしつつで、何だか疲れてしまって、昨日の『鶴八鶴次郎』を泣く泣く見逃してしまったのがつくづく残念。『まごころ』は何だろうこの瑞々しさは!といった感じで、昨年シネマヴェーラで観て大変な幸福感に包まれた清水宏の映画を思い出した。清水映画における爆弾小僧や葉山正雄のように、悦ちゃんと加藤照子がとても良い。大人の主役の二人、入江たか子と高田稔は、それぞれ、英パンとの日活時代からの名コンビであり、東亜時代からの大親友でありといった人たちで、どうしても俳優・岡田時彦を思い出してしまい何かと感慨深かった。入江たか子と高田稔は田坂具隆『月よりの使者』(新興キネマ、1934年)の大当たりで一躍名コンビになったらしいけれど、美男美女コンビの元祖といえば、勿論、英パンと入江たか子と相場が決まっていた訳で、もし英パンが長生きしていたら、もしかしたらこの成瀬作品にも出ていたのかも知れないなあ、などとつらつら思いながら観る。とは言え、赤紙が来て出征するラストシーンで、軍服を身につけた高田稔が、日の丸の旗を振り振り笑顔の悦ちゃんや入江たか子に向かって汽車の窓から敬礼する、というのはやっぱり観ていてぞっとする。39年の映画だから当たり前だけれど、やはりこんな嫌なシーンを英パンにやらせたくはないなあとも思うのであった。



さて、本日のお目当ては、映画のあとのお楽しみ、金井美恵子先生の講演なのであります。何とスペシャルゲストに井口奈己監督が登場!井口奈己監督に会うのは(というか見るのは)今年に入ってもう四度目という驚異の遭遇率で、いかにわたしが偏った映画(マキノ、マキノ、溝口、成瀬)を観ているかが判るというもの。美恵子先生は本日風邪気味なので、と断った上で、井口監督にたくさん喋ってもらう、とのことで、お題は「成瀬と溝口映画における女優の魅力」というものであった。井口監督の溝口作品の中で一番好きなのが『噂の女』と答えてまわりがシラケたというエピソードが面白く、戦前の成瀬作品『乙女ごころ三人姉妹』でのカメラの動きが謎でカット割りも下手な時があるという指摘に「そうそう、だよねー」と心の中で大きく頷いた。それが、戦後の『流れる』では素晴らしくカット割りが流麗になる、とも。惚れ惚れするような素晴らしい作品『流れる』は今回はパスしようかと思っていたけれどこれを聞いてまた観たくなる。美恵子先生はサイレントの『君と別れて』(松竹蒲田、1933年)が素晴らしいと仰っていた。いつか観る機会がありますように。まったく、わたしはフィルムセンターでの成瀬巳喜男レトロスペクティヴの時には一体何をやっていたのだろう?と思うほどに、まあ、混みすぎてて尻込みしたというのもあるけれど、ことごとく観るべき作品を見逃していてため息を吐くばかり。それで何を観たのかと言えば、村山知義がかかわっているという理由で『雪崩』(P.C.L.、1937年)を観たりしているのだ!ああ、もう、我ながらプライオリティが謎すぎる。『雪崩』とか『舞姫』とかを観る前にもっと観るべき成瀬作品はたくさんあるはずなのに......。



溝口や成瀬や小津作品に出てくる女優さんで、使ってみたいと思う人は居ますか?という美恵子先生の質問に、井口監督は「木暮実千代*1と答えていた。「清水宏監督作品で木暮実千代が女学生の役で....えーと、何でしたっけ?」と井口監督が言うので思わず後ろに居た女の子と共に「『暁の合唱』!」と声をあげて答えてしまった。『暁の合唱』の愛らしさ、瑞々しさはちょっとあり得ないくらい凄いと思う。清水宏は何でこんなに揺れる乙女心が判るのー!と驚愕した覚えがあります。とか言いつつ、わたしも井口監督のはてなhttp://d.hatena.ne.jp/nmnm-i/)で知って「そうかそうか」といそいそと観にいったくちなので、教えていただいて感謝しなきゃ!なのですが。



あと、井口監督の話で面白かったのは、国際交流基金溝口健二監督の英語字幕付き『噂の女』上映会をやった時に、田中絹代久我美子の母娘が共に大谷友右衛門*2を取り合うという構図に、画面に大谷友右衛門が映ると観に来ていた外国人が皆親指を下に向けてブーイングのサインをしていた、というもので、こりゃ最高、わたしもぜひそれに参加したかったなあ!とはしたなくも思ってしまったのだった。それと、成瀬作品における原節子が一番良い、とはお二人とも仰っていた。井口監督の「小津作品における原節子は女性に対する思い入れを背負わされている感じ」という言葉になるほどと頷く。やっぱり井口奈己は鋭いなあ。美恵子先生の「成瀬作品で、原節子は家事をする姿がとても印象的だけれど、小津作品ではほとんど家事をしない。司葉子もお茶一杯入れなさそう!」という指摘にもなるほどと頷く。



と、まあ、なかなか面白い話も聞けてよかったのだけれども、我らが金井美恵子は作品名とか俳優名とかちょっと目を覆いたくなるほど致命的に間違っていて、あの切れ味鋭い80年代の映画批評を愛好するファンとしては少し悲しいものがあった。極めつけは『東京物語』と『東京暮色』を取り違えて言っていたことで....まあ、手元に資料は一切なく記憶だけで喋っていてしかも今日は風邪気味で体調が悪かったからなのかも知れませんが.....。思わず頭に浮かんで来てしまったのは、小津安二郎『お早よう』で杉村春子が三好栄子に言う台詞「嫌んなっちゃうなあ、モウロクしちゃって!」というシーン、とか言ったらファン失格ですね言い過ぎですねきっと。ああ、でも小説家は生のトークではなくやはり推敲して書いたものを読むのが一番、とは思ったのでした。


*1:木暮実千代といえば、例の溝口シンポジウムの本を読んでいてひしひしと感じたのは、もし木暮実千代が生きていたら蓮實重彦はたぶん女優の席に若尾文子ではなく彼女を入れたかったのではないか?ということ。

*2:どう見てもミスキャストで「え、何でこの男が?」という感じしか持てなかったのだけれども、オリヴェイラの作品におけるペドロ・アブルニョーザの例なども見るとこういうのもアリなのか?と思うようになった。