しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

映画つれづれ:溝口健二小津安二郎



日本映画を観始めてからまだ日が浅く、最初は、おおよその人に違わず小津安二郎からはいったこともあるし、その完成され洗練され計算され尽くした小津の狂いのない美にすぐさま魅せられ惹き付けられたために、他に何も観ないうちから、自分の中では「好きな映画監督は小津安二郎」と早いうちに決めてしまっていた。2006年、わたしにとっては幸運なことに、世間は溝口健二監督没後50年という企画で、フィルムセンターや恵比寿ガーデンプレイスなどでレトロスペクティヴをやっていた。それで「ギトギトしてそう」「古臭そう」と今まで敬遠していた「日本映画が誇る世界的巨匠・溝口健二」作品を、遅ればせながら、恥ずかしながら、はじめてちゃんとまともに観たのだった。『西鶴一代女』『残菊物語』『山椒太夫』『近松物語』『赤線地帯』『祇園の姉妹』『浪華悲歌』『女優須磨子の恋』『噂の女』『歌麿をめぐる五人の女』、そして、その作品すべての力強さに目をみはった。とりわけ、戦前の傑作と言われている『祇園の姉妹』『浪華悲歌』の二本に、まるで雷にでも打たれたような衝撃を受けた、この映画はただごとではない、と。



小津作品の持つ静謐な美の世界、ぴたりと寸分の狂いもなく額縁に入れられた絵画のように完璧とも思える藝術に心から魅せられて、小津だけをいつまでも観ていればいいんだ、とさえ思っていたわたしは、溝口作品の放つ有無を言わせぬ途方もない圧倒的な力に今更のようにねじ伏せられたかたちとなったのだった、ただし、「これは私の好みではないが」と、その時はまだそう思っていた。松竹や東宝の品のよい、またはユーモラスで、「安心して」観ることの喜びを味わえる作品にしかほとんど触れて来なかった、というより、意識的にそうやって選んでいたわたしにとって、(おもに)大映の溝口作品の放つ時として嫌悪まで抱かせるような重くのしかかる不穏な響きに心がざわついた。溝口作品から放たれている生身の人間の荒々しいむき出しの情念のようなものが、わたしをひどく恐れさせた。それでも、溝口を観ることを止めなかったのは、嫌悪を抱きながらも「これが人生の真実だ」と思わずにはいられない部分があったからだと思う。



『赤線地帯』をはじめて観た時、まず神経をいらだたせられたのは、黛敏郎の不穏な予感に満ち満ちた音楽だった。大好きな小津映画では決して流れて来ないような、人を不快にさせる音楽。娼婦たちのそれぞれの悲しみの描き方は秀逸で、とりわけ京マチ子木暮実千代の演技が素晴らしかった。けれど、松竹の無菌室で育ったわたしにはこの映画にどう接してよいのかが判らずに戸惑っていた。



わたしのもっとも敬愛する現役の映画監督の一人、ビクトル・エリセが溝口作品のなかで「もっとも重要な作品」として、『赤線地帯』を挙げているのを『国際シンポジウム 溝口健二 没後50年「MIZOGUCHI 2006」の記録』で目にした。それで、翌年の2007年に新文芸座でふたたび溝口特集をやった時に、もう一度、溝口の遺作『赤線地帯』を観ることにしたのだった。果たして、二度目に観る『赤線地帯』は本当に心の底から素晴らしい作品だと思った。そこには、生身の人間が、時に嫌らしさを非情さを狡猾さをあらわにさせながら、或いは、親子や夫婦の情に裏切られて幻滅して魂を荒廃させながらも、それでも尚、必死に逞しく生きようとしている姿があった。溝口のまなざしは何処までも透徹で、娼婦たちに注がれるそれは時にユーモラスで時に温かい。一貫して虐げられ利用される女性の悲劇を描いてきたとも言える溝口監督が最後に見せてくれたのは、悲劇ではなく、悲喜劇であった。その喜劇の部分のユーモアと温かさがわたしの心に深く滲みた。



かえって、小津安二郎の後期の作品、『彼岸花』以降の、地位も名誉もあってお金に不自由しない階級の洒落た紳士のお遊びを描写したような一連の諸作品は、粋でしゃれてて、ウィットとユーモアに富んでいて、それはそれで本当に心の底から大好きなのだけれど、井上和男編集『小津安二郎全集』*1の座談会の中で、脚本家の野田高梧の言った言葉として、井上和男が引用しているのは「『秋刀魚の味』が遺作じゃあ小津が可哀相だ」というもので、読んだ時はあまりその意味が理解できなかったけれど、今なら、何となくだけれども、その意味が判るような気がする。



彼岸花』以降の小津作品は、それこそ映画にも小道具として出てくるけれど、洋画壇の最高峰だった梅原龍三郎の描いた素晴らしい薔薇の花の絵のように、品も趣味もよいきちんとした大人の藝術であったような気がする。けれども、そこにはある種の諦念が漂っているような気がしてならない。小津安二郎がやりたかったのは本当にこんなことだったのか?



溝口作品の持つ力強さ。人生を、酷くて辛い人生を諦めきれなくて、それでも生きることに、生き抜いてゆくことに、ただひたすらじたばたあがいているような、だからこそ、凄まじい強度を持った作品。



先の本でビクトル・エリセは溝口の凄さについてこんなことを述べている。「51年から最後までの映画のリスト。これほご間断なく卓越したレベルを維持し続けたシネアストに比肩しうる者は一人としていない、と主張したい。間断なく崇高であり続けたのです。」



「間断なく」崇高であり続けたという溝口健二小津安二郎の『彼岸花』以降の諸作品を思う時、ビクトル・エリセのこの言葉の意味を頭の中で反芻しながらこんな風に思ってしまう、果たして、小津が撮りたかったのは本当にこんなことだったのだろうか、と。