しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


水曜日、マキノ正博『ハナコサン(ハナ子さん)』(1943年、東宝)を観にフィルムセンターへ。
嬉しいことに、本日もほぼ満員である、ああ、満員でよかった。
こんなに愉しいマキノの映画を空いている映画館で観るなんてことは嫌ですもの!



フィルムセンターも通い詰めてみるとだんだんと常連さんの顔を覚えてくるもので、今日も見たことのある顔がちらほら。ロビーに並んでいる時、前に坐っていた茶色く髪を染めた着物姿の可愛らしい老婦人とその連れの男性(どうも友人同士らしい)は、去年の夏、川島雄三『銀座二十四帖』を観にいった時、ちょうどロビーの椅子で隣りだった人たちだ。連れの男性が老婦人に向かって、野口冨士男『私のなかの東京 わが文学散策』(岩波現代文庫)を鞄から取り出して見せながら「この本の中に出てくる「銀座二十四丁」がこの映画の元なんだ」とかいう話をしていて、隣りで聞いていて「井上友一郎じゃないのかなあ?」などと心の中で思ったことであった。あと、たぶん井口奈己監督と思しき小柄でショートカットの女性も見かける。



冒頭の「バスビー・バークレーを思わせる」(チラシより)万華鏡のごとき踊り子たちの輪舞からはじまって桜の花びらと共に「ハナコさん」とタイトルが映し出されるシーンからしてもう素晴らしくてわくわく、興奮して身を乗り出して観る。戦時中に作られたとはとても思えないミュージカル、ということで、モダニズム関連の我が基本文献であるところの、岩本憲児編『日本映画とモダニズム 1920-1930』でも言及されていたし、かねてから観たい観たいと思っていた一本。



前半は、冒頭でいきなり国策映画を示す「撃ちてし止まむ」の文字が映し出されるのに幾分嫌な気分になるものの、ハナ子さん演じる轟夕起子のはじける笑顔がとびきり可愛くて、それを見守る家族や近所の人々もみんなにこにこ笑顔で、歌詞を聞いてみると確かに軍歌を唄ってはいるものの、なんて楽しげで笑顔溢れる映画なんだろうと感嘆しきりだったのだけれど、後半になると、戦争の影が忍び寄り、隣組での消火訓練や空襲警報や爆撃シーンなどが容赦なく映し出される。空襲警報のただ中に赤ん坊を生み、まもなく夫の出征が決まり......。赤ん坊と最後の別れを惜しむようにあやす出征前の夫に「何か我がままを言って、何でも聞いてあげるから」と言うハナ子さん。すると「お前のすることならなんだって嬉しいよ」と答える優しい旦那様(灰田勝彦)。そこで、モンペ姿ででんぐり返しを三度してみせて朗らかに笑うハナ子さんも相当凄いしおもしろいけれど、そんなユーモアの影に「顔で笑って心で泣いて」的なものが伝わって来て、かえって観るものの胸を詰まらせる。薄野の茂みで二人がじゃれ合うように戯れるシーンに、なぜだか小津の『麦秋』の静謐な揺れる穂のシーンを重ねてしまう。「お前だと思って持ってゆくよ」と夫が言った「おかめ」のお面をハナ子さんが付けたり外したりしながら、そのたびに顔を七変化のように変えてふざけているのも、お面で顔を覆っている時に涙を隠しているのではないかしら、などと深読みしてしまう。実際、ハナ子さんが涙を見せるシーンは検閲でカットされたらしい。そんな話を聞くにつけても、マキノの意図がひしひしと伝わってくるようで泣けますわ。



賞与が貰えるから何か美味しいものでもご馳走するよと夫が言うので、ハナ子さん、心浮き浮きとお気に入りの紺色のお召しでおめかしして丸の内に出かけたのに、戦時下ということで賞与は国債(!)だったりとか、若い健康なご婦人(高峰秀子)は負傷の帰還兵とどんどん結婚してじゃんじゃん子供を産んでお国のために尽くすべし、とか、隣組の暢気すぎるリレーの消火訓練とか、今観ると軍国日本のファシズムと無知とにぞっとすることばかり。



なのに、そんな異常事態の最中であっても、「カツドウはおもろなければアカンのや」とでも言うように、あくまでエンターテインメントに徹するマキノの筋の通った心意気にじーんと感動する。唐突に挿入されるレヴューシーンの数々も素晴らしいし、主題歌のハナ子さんが唄う「お使いは自転車に乗って」も大変可愛らしい。音楽を担当した鈴木静一は、これまた音楽が可愛かった、古川緑波の『ハリキリ・ボーイ』(P.C.L.、1937年)や『次郎長三国志』シリーズも手がけていたのだな。



それにしても、天真爛漫で誰からも愛されるハナ子さんのキャラってどこかで既視感が....と帰り道々考えていたら、久生十蘭の『キャラコさん』だった。実際、名前も似ているんだけれど。それで、家へ帰っていつものごとくjmdbで色々調べていて、ふと「轟夕起子」で検索したら、なんと轟夕起子は日活多摩川でズバリ『キャラコさん』(1939年)なる映画に主演していたのであった!びっくり!