しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

橋爪節也編著『大大阪イメージ 増殖するマンモス/モダン都市の幻像』(創元社、2007年)*1




気になる「大大阪」についての本、ということで前々から楽しみにしていた一冊。
かなり様々な角度から「大大阪」にアプローチしているので、興味のある箇所からぽつぽつ拾い読みする。



「大大阪」について、はじめて興味を持ったきっかけは、今は無き神保町の書肆アクセスで買った『大阪人』(2005年5月号/モダンガールの時代)の記事「フラッシュバック 大大阪の時代」を読んだことであった。1925年(大正十四年)から東京に首位を明け渡す1932年(昭和七年)というわずか七年間という短いあいだ、大阪が面積、人口ともに東京を凌駕して「世界第六位」の都市となった時代があったという。日本ではのちにプラトン社の雑誌『苦楽』や『女性』を廃刊に追い込むことになる講談社の大衆雑誌『キング』が創刊され、パリでは琥珀色の女神・ジョセフィン・ベイカーがチャールストンを踊り観客を熱狂させた1925年から、木村伊兵衛中山岩太が写真雑誌『光画』を創刊し、小津安二郎の『生まれてはみたけれど』が封切られて暗い世相を表す流行語になった1932年までという七年間。「大大阪」がイコール「モダン大阪」と言われるのも納得、という程に、まさにこの七年間が「モダン都市文化」が最も光り輝いていた時期ではないかと思う。(その翌年、1933年(昭和八年)には小林多喜二が築地警察署で拷問死しているし、長谷川時雨も銃後活動として『輝ク』を創刊することになるのだから。)



まず最初に半透明のカヴァを外すと顕われてくるのは、池田遥邨《雪の大阪》(1928年)と木谷千種《浄瑠璃船》(1926年)による素晴らしい画の一部分。どちらも大へん美しい。大阪市立近代美術館準備室で所蔵しているとのことなので、開館の暁にはきっと本物を観に大阪へ行かねば。木谷千種のことは、先日、何とはなしに書いた日記でコメントを寄せてくださった方に教えていただいたのがはじめての出会いだったのですが、いやはや、こんなに素敵な絵を描く画家だったんだ!知らなんだ。夏に国立近代美術館で観た鏑木清方《墨田河舟遊》(1914年)を思い起こさせる雰囲気だけれど(って、それは船で遊覧する人々を描いた日本画ってだけな気も....)こちらも鏑木清方に劣らず素晴らしい、というかむしろ、この時代が好きなのでどうにも贔屓目が入ってしまうけれど、個人的にはこちらの木谷千種の画の方が好みだし素晴らしい、ような気がする、なんて大御所つかまえて怒られそうだけれど。首を心持ち前に傾けるから、ただでさえ首筋の白雪のような肌が露になっているところに、さらに玄人っぽく衣紋を大きく抜いているので、後ろ姿しか見えないその三味線弾きの「女ひと」の項からそこはかとなく漂う色香が観ているこちらにまで伝わって来るようでくらくらしてしまう。



いつも戦前の素敵な音楽を教えてくださる毛利眞人さんによる「大大阪行進曲」についての考察も楽しく拝読する。『道頓堀行進曲』が『東京行進曲』(余談だけれど、最近読んだ川口松太郎の本『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬこと』(昭和五十八年、講談社)に、『東京行進曲』が大ヒットした裏話が載っていてこれまたおもしろかった。当時、日活の宣伝部長の依頼で、文春時代の同期である古川緑波や主題歌を唄っていた佐藤千夜子を中心に七、八人で銀座へ繰り出し、カフェーライオン、タイガー、サイゼリアなどの店々を唄ってまわったのだそう。「この宣伝隊は効果抜群で東京行進曲は爆発的流行をおさめた」とある。)よりも先であったこと、全国でおびただしい数の『〜行進曲』という唄が出来たこと、など、わたしにとってはとても興味深い。『椿姫』撮影中に駆け落ち事件を起こして日活を退社させられた岡田嘉子と竹内良一が、文壇の黒幕・直木三十五の斡旋で「岡田嘉子一座」を立ち上げたことは色々な本で読んで知ってはいたけれど、その幕間劇に『道頓堀行進曲』があったということは知らなかった。



それから、岡田時彦の著作『春秋満保魯志草紙』に名前が出てくるのでちょっと気になっていた、正岡蓉(英パンとひとつ違いの、同じ神田の生まれ)の名前を発見してこれまた興味深く読んだ。正岡蓉は落語や寄席など演芸関係の作家という印象が強かったのだけれど、モダン都市文化華やかなりし頃は『大阪行進曲』や『銀座行進曲』などの作詞も出がけていたのだな。



さらに、待ってましたという感じで、北尾鐐之助『近代大阪』(昭和七年、1932年)については、勿論のこと、きっちり章を割いていて嬉しい。誰も訊いてないのにエクスキューズに終始しているわたしのお粗末な感想文(id:el-sur:20070411)はさておき、今年は海野弘先生に導かれてこの本に出会えたのは運が良かった。この本を読んだあとに阪神遊覧の機会が持てたこともこれまたよかった。そして、次回は必ずや英パンの通った神戸のアカデミーバーに行かねばならない!、と決意を新たにしたところで、また脱線の恐れがあるので元に戻ると。改めて思い出すのは『近代大阪』の頁に挟み込まれている、北尾鐐之助自らが撮影した写真のモダンなこと!本書でも取り上げられていたけれど、《中津の跨線橋の交錯》と題された写真なんて、まるでハナヤ勘兵衛の作品のようだわ!と、芦屋市立美術博物館で手に入れた『芦屋の美術を探る 芦屋カメラクラブ 1930-1942』の展示カタログを繰りながらそう思う。タイトルと表紙を見ただけであまりのカッコ良さに黄色い声を上げてしまった、浪華写真倶楽部の小石清『初夏神経』(二年前に国書刊行会が復刻版を出してくれた!素晴らしい!)も同じ昭和七年の刊行だったのだなあ、としみじみ。本当にわたしはこの時代が好きすぎる。



この本で知った「戦前における最も完成した形での”モダン都市・大阪”を、即時的なニュース映像に近い感覚もまじえて、またとないタイミングに撮影したもの」(p.419)という映画『大大阪観光』(昭和十二年、1937年)はいつか観てみたいな。観光映画なのに撮影が成瀬作品などでおなじみの名キャメラマン玉井正夫ってそれ凄いじゃないですか!ライニングペーパーの、岡本一平による「大大阪君」似顔絵の図も何故かパリ風で愛らしい。