しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


「温ちゃん」と「英パン」のこと



渡辺温*1のことは、花さん(id:hanaco)が会うたびに「きっと好きだと思う」と言ってくれていて、もう随分と長いあいだ「読みたいな、読まねば」リストに入っていたというのに、その日気分であちらこちらによそ見をして油を売っているうちに結局今の今まで読まずに来てしまったのであった。



青空の青をくり抜いたように眩しい黄金色の銀杏がはらはらと散り始めて、神田川沿いの桜並木はもうほとんど冬枯れで、気がつくと今年ももう残すところあとひと月で、今年の下半期は何かに取り憑かれたとしか思えないような性急さと強迫観念とでもって(誰にも頼まれていないのに!)せっせと図書館に籠って来る日も来る日も「英パン探し」に没頭していたので、そんな折りに、ようやくの巡り合わせで「渡辺温」の文字に出会ったのだったーというより、実のところは、最初に出会ったのはお兄さんの「渡辺啓助」の名前の方だったのだけれども。



1929年、『新青年』(昭和4年/10巻、7号 六月増大号)にて、「岡田時彦」名義で発表された小説『偽眼(いれめ)のマドンナ』という作品は、渡辺温の兄・渡辺啓助が代筆したものであった。当時、『新青年』の編集部に居た弟・温のすすめにより書いたのだという。代筆と言われてこの作品を読んでみると、なるほど、文章のスタイルがやはり英パンの書くものと少し違っている。岡田時彦の自伝的著作『春秋満保魯志草紙』(昭和二年、前衛書房)にて目にすることのできる彼の文章は、多分(すぎる?)感傷とユーモアと気障とが入り交じり、谷譲次のように乾いていて軽妙というよりは、むしろ、下町のしっとりとした江戸情緒的な(英パンはなんせ「神田の生まれ」ですからね!)魅力の方をより感じる。冒頭の部分はこんな感じ。

今の世、影を売つて悶える、そのかみのプラアグの大学生に非ずして、僕も亦いつの頃よりか、あはれ影絵におどる我が姿いとほしく、いづれはかなき業に仮寝の幾夜を過ごす身の上とは成り果てたのである。
これはこれ、春秋まぼろし草紙、好めるままに、ひたすらに、つい知らずそればつかりを楽しんでいるうちに、いつか擦減つてしまつたレコオドを、しかも尚捨て兼ねて其の音律に耳傾けるあはれ、それにも似たるこころで振返る越しかたのあれこれ、憶出草の一と束。

割と古風というか、叙情的というか、何と言うか、阿部豊監督作品から受けるモダンボーイ型の印象とはまたひと味違った雰囲気。と言っても、ユーモアを散りばめたやんちゃな悪童っぷりが見て取れるような文章もあるので一概には言えないけれど。



それに、いくら谷崎潤一郎の門を叩くほどの文学青年であっても、何しろ英パンは中学卒業もそこそこに活動役者の世界に入ってしまったのだし、あくまでこれはわたしの推測ではあるけれど、翻訳小説などといった舶来ものはほとんど読んでいなかったのではないかと思う。その英パンが「セエヌ河をボートで下つて」だの「何番目かの女友達(フロインデン)」だのという、まるで洋行帰りのお坊ちゃんのような言葉遣いでもって小説を書くということは、あり得ないとまでは言わないにしても、ちょっと違うだろうなあ、という感じ。この作品『偽眼のマドンナ』はやはり慶應出のインテリが書いたもの、でしょう。



それで、脱線しかかっている話を元の「渡辺温」に戻すと、次に「渡辺温」の文字を見たのは、同じく『新青年』(1930年・昭和5年/11巻、1号 新年増大号)掲載の「ABC漫談」においてであった。横溝正史渡辺温をホストに若手俳優を招くという座談会方式を取ったこの「ABC漫談」は、渡辺温がその年の二月に亡くなるまで4回の連載があったが、記念すべき初回のゲストが岡田時彦だったのだ。その後も、英パンが紹介したという謎の「新俳優某君」をはじめ、中野英治(日活時代からの英パンの親友)、及川道子(英パンとは清水宏監督作品『戀愛第一課』『抱擁(ランブラッス)』の二本で共演している)という全4回の登場人物すべてが岡田時彦になじみの人たちだった、というのも興味深い。しかも、中野英治も及川道子も二人ともその中で英パン談義をしているのである。



1930年(昭和五年)の一月号といえば、『映画時代』(8巻、1号 新年特別号)誌上で、岡田時彦は日活から松竹へ移籍した騒動を語った手記「私自身」という長文エッセイを載せていて、松竹蒲田に入るに先立ち川口松太郎の手引きで松竹レヴュー「地獄のドンファン」に出演していた折りに、この「ABC漫談」コンビである横溝正史渡辺温が楽屋を訪ねて来てくれた時の様子をこう書いている。

東京で興行し出した或る日、横溝正史渡辺温の二兄が楽屋へ訪ねてくれて、二人は其の時少しばかり酔つていたが沈んだ私を励ますようにねんごろな調子で云つてくれた。
「ーーいいと思ふ。君は投げてやつているのかも知れないが、君が打棄るほどあの捨てるやうなセリフが利いてくるし、此の後映画の上でもあの態度を一つのタイプにして行くんだな。それにしても、あれを君の為に選んだ川口松太郎の才は褒めていいね。」
私は親切な友達の此の言葉が嬉しかつた。二人は如何にも酔つていた上に、第一私は随分腐つた顔をしていたに違いないのだが、と云つてお世辞を云はなければならない間柄でもないのだから、私は今でもこれを皮肉とも身贔屓の慰め辭とも思つて居ない。

「親切な友達」「お世辞を云はなければならない間柄でもない」ー渡辺温岡田時彦とは友人だったのだ。



そして、何よりも谷崎潤一郎に見出された、目をかけられたという点で、二人には大きな共通点がある。プラトン社の発行していた『苦楽』の懸賞小説で谷崎潤一郎の賞賛によりデビューを果たした渡辺温と、谷崎に憧れて大正活映に入り、「岡田時彦」という芸名を授けられ、ついに日活の大スタアになった岡田時彦。精神的な拠り所を谷崎潤一郎に置いていたと思われるこの二人が意気投合したであろうことは容易に想像出来る。



さらに驚いたことには、その年の二月に渡辺温が乗っていたタクシーと列車が追突するという痛ましい事故のその現場というのが、阪急線の夙川だった、というではないか。渡辺温が亡くなって四年後、昭和九年の一月に英パンの亡くなったのも、同じ西宮市夙川なのだ。しかも、渡辺温谷崎潤一郎宅に原稿を取りにいったその帰りに事故にあったのだという....。何かの因縁だとか奇妙な符合だとかいう安易な言葉を使ってみたい衝動に駆られるのは、やはり間違っているか知ら?



とか何とか、そんな風に止め処もなくつらつらと、真青な空と銀杏を見上げながら、若くして亡くなった綺羅星のような二つの才能ー「温ちゃん」と「英パン」*2のことを交互に考えてみる。


*1:現在手に入る本は『渡辺温:嘘吐き(ラ・メデタ)の彗星 』asin:4891779411博文館新社、1992年)短くて鮮やかな"sudden fiction"のような佳品『兵隊の死』『嘘』『父を失ふ話』『影』などは勿論のこと、「映画随想」も素晴らしい。「ABC漫談」の第三回(中野英治)と第四回(及川道子)も掲載されています。

*2:画像は二人とは何の関係もありませんが、京都・永楽屋 細辻伊兵衛商店の素敵すぎる町家手拭シリーズより。モダンな昭和初期の図柄に胸がときめく、のだけれど良いのはみんな品切れ!もう何年も待っているのにいつになったら買えるのか....。