しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


K先生と小津安二郎



図書館仕事の話。ここ半年ほどかけて、K先生が寄贈してくださった大量の洋書を、通常業務の空き時間を利用して少しずつ整理していた。一度誰かの手を経た書物というのは、本を開くと、小さな栞代わりのメモやら青インキで書かれた手紙やら走り書きやら酸化して白茶けた新聞の切り抜きやらといった、固くてよそよそしい新刊本にはないおもしろいものが入っている、或いは書き込まれていることが多く、そんなこともなんだかほのぼのと楽しく、本を点検しながらにんまりとしてしまうこともしばしばで、通常業務の余力の時間にしか取り掛かれないことが少し恨めしいほどに、その仕事に従事する時間が楽しいものとなっていたのだった。



蔵書には一冊一冊、K先生からいついつ寄贈されたという印が押され、先生がご専門とされている分野は、主に英国経済史であると聞いていたのに、蔵書の方は実に幅広い分野に渡っていて、英国地方史や産業革命史、労働史など諸々経済を取り巻く分野からはじまって、数十点に及ぶ地方の小さな街の地図、果てはヴィクトリア時代の写真史、無声映画のガイドブック、アンティーク缶のコレクション本といった文化史の本まで、それこそ英国に関するあらゆる書物を集めていらして、整理を担当する過程でたくさんのユニークな本に触れることができて、改めて、ああ、わたしは本当に本が好きなのだなということをふつふつと実感したのであった。なかでもマック・セネットの『ベージング・ビューティー(水着美人)』*1にインスパイアされたと思しき小ぶりのイラスト本は1920'sの香りがプンプンといった感じに大変にキュートでファビュラス!なもので「ああ、この本は素敵なあの娘に見せたいな」と、思わずある友人の顔が思い浮かんだのだった。



そんなこんなで、半年ものあいだ、K先生の蔵書を詳細に見て来た訳で、最近では、7年前にお亡くなりになられてお会いしたことのないK先生とは一体どんな方だったのだろう?というように、蔵書コレクションからその人となりを想像してみるまでになった。



そして、事件(?)は突如、昨日の夜に起こった。



前々からいつか読まねばと思って後回しになっていた、田中眞澄編集『全日記 小津安二郎*2(フィルムアート社、1993年)の中の一節が、いつも楽しみに拝見している「日用帳」(id:foujita)で取り上げられているのを見て、「そうだった、そうだった」と思い出してようやく借りて来たのであった。それで、当初はお正月休みにでもゆっくり読もうと思っていたものを、そうは言っても借りて来たとなれば、やはりそこは大好きな小津のことなので大きな楽しみで、いそいそと紐解いたところに、



1952年1月のある日記に差し掛かって、はっとする。



ーなんとK氏を囲んで会食、とあるではないか。思わず「あっ!」と声を挙げてしまう。



ここ半年のあいだずっとK先生の蔵書に係っていて、私の至極勝手な思い込みではあるけれども、蔵書を通してK先生と親しい間柄であるかのような錯覚を覚えていた身としては、小津の日記にその見覚えのある名前がちゃんとフルネームで出てくることにまずは驚き、それからじんわりと湧き上がる喜びを押さえきれずいつまでも嬉しい気持ちで一杯となる。K先生を通して、自分がまるで小津安二郎と繋がり、ひいては小津を通して岡田時彦とも繋がったような気がして(←妄想もここまでくると才能・笑)何とも言えない喜びに胸を躍らせたのが昨日の晩の出来事。



それから、日記の本文中に頻出する「陶哉」とは、あの銀座の陶器屋さんの「東哉」のことなのか知ら?原田治さんの日記「原田治ノート」(id:osamuharada:20061123)を見て「うそー欲しい!」と思い、さらに『考える人』小津特集や『ku:nel』銀座特集にも度々そそのかされて、ついに今秋『彼岸花』湯呑をいそいそと買いに行った身としては気になるところであります。



おまけ:トーマス栗原『アマチュア倶楽部』(1920年)のスナップ。前列右から二人目がまだ本名・高橋英一を名乗っていた頃の英パン、その隣が葉山美千子、谷崎潤一郎。カメラを挟んでトーマス栗原。



*1:Mack Sennett "Bathing beauties" なんせ英パンも出演しているトーマス栗原監督『アマチュア倶楽部』(1920年)の元ネタなので心の中で「わーい」と喜ぶ。

*2:isbn:484599321x