しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

本日の英パン発見・番外編 その1『婦人サロン』(文藝春秋社)の巻



いつもお世話になっている演劇博物館に加え、先日の「川喜多記念映画文化財団」訪問を終えて、あらかた映画関係の雑誌でめぼしいものはもうほとんど見尽くしている気がするので、いよいよ新たな「英パン発見」がなくなってきていて、そろそろこの長らく続いた「東京行進曲」ならぬ「エーパン狂躁曲」もお仕舞いかな、と思っている昨今ではありますが、そうは言ってもここまで引っ張って来たので往生際悪く、なんせ「和製ドンファン」と言われたほどに女性にモテてモテて仕方がなかったエーパンのことですもの、断髪洋装モガが銀座のペイヴメントを闊歩した時代の婦人雑誌を丹念に見ていけば、きっと何かしら岡田時彦のことが載っているに違いないのだッ、とはたと気付き、今度は1920年代半ばから1934年までの婦人雑誌を調べていきましょうそうしましょう、ということになったのでした(?)。



まず手始めの「英パン発見」は、1929年(昭和四年)に文藝春秋社より発行された『婦人サロン』*1(第1巻、第1号 九月創刊号)より大瀬夏雄という人による「新家族合わせ」という記事。これ、かなり他愛ないけれど、各々のキャラクターをしっかり反映させていて、コントとしておもしろいです。ていうか、いちいちおもしろいので引用していたらこんなに長くなってしまいました。ひとり「青空文庫」みたいなことをしているな、単なる物好きとしか.....(以下略)。


新家族合わせ ー父・武者小路実篤 母・宮崎白蓮 娘・人見絹枝山本安英 息・岡田時彦


お父さんが武者小路実篤、お母さんが宮崎あき子*2、そして岡田時彦人見絹枝*3山本安英*4といふ、三人の兄妹があるオール、スタア・キャストの家庭。


はるかに都塵をさけた、小田原急行の下北澤あたりに、バンガロウの明るい色が空を切つてゐる。


小田急の沿線なんて、東京行進曲*5で逃げて来たみたいでいやだ。


と時彦が初め反対したが、


ー東京行進曲で逃げて来たやうな男や女を、ここらで食ひとめて、もつとお互いを考へるやうにさせてやるのさ。


とお父さんの実篤は言ふ。時彦は苦笑して、ーぢややつぱり「新しき村」と同じ手でだな。


しかし、冗談を本当にして、さういふ逃亡者が下北澤を目指してやつて来たとしても、十分収容出来るほどの廣いアキ地をそのバンガウ(ママ)は周囲に持つてゐる。


あくまで、ドン・キホオテであるお父さんは


ーこのアキ地にテント張りでもして、不心得なかけ落ち者を収容して、もつとお互いを考へ合ふやうにさせたいね。


と言つてゐる。


ーテント張りとは思ひ付ですね。テント人を殺さずとはこれから始まつたか。面白いな。


と時彦はいついかなる時も、ナンセンスの精神は置き忘れない。


が、今ではその廣大なアキ地は、長女の絹枝さんの百米短距離練習のトラツクとなつてゐる。ミス・ユアサ、ミス・A、ミス・Bなどといふ絹枝さんのお弟子さんたちの新鮮なラニング(ママ)姿も、時々そのトラツクの上を踊るわけ。


そんな時、時彦が仕立ほやほやのギヤバジンの白ズボンか何かをかがやかして、柵の向ふなどに現れると、大變。


異常な英パンフアンであるミス・Bが、まづ真赤な顔になつてしまふ。運動家だって、女性だ。


ーさあ、英パンが現れたから、今度はあなたを一着にしてあげるわよ。


と友情の濃かなミス・ユアサは、B嬢の耳にそつと囁く。


そこで、


ースタアト、....はいつ。


と絹枝嬢の勇ましい男叫びと共に、三人のミスは健康な脚線をまつしぐらに空を踊らす。そして、豫定の如くミス・Bが第一着。


ーやつぱり、僕のフアンだけのことはあるね。


と時彦がいい気になつて拍手を送ると、絹枝さんすつかり機嫌を悪くしてしまひ、


ーいけません、皆さん。神聖な運動の前で、芝居をするとは何事です。今のBさんの第一着はヤヲチヨウといふものです。さあ、もう一遍やりなほして。


そして、時彦の方に眼を向けて、絹枝さんは麻のやうな恐ろしい聲を出す。


ー時ちやん、あなたは早く撮影所へお出かけなさい。


ー今日は相憎撮影所はお休みですよ。


ーでは、Vさんの所へ踊りのお稽古にでも行つていらつしやい。


ーところがVさんも今日は相憎お休みなんです。


ーぢや、床屋にでも行つて、シャンプウをしていらつしやい。


ーところが今日は廿七日。床屋も相憎お休みですよ。


ーぢや、銀ぶらでもしたらいいぢやありませんか。


ーところが今日は相憎銀座もお休みで。


ー? ? ?


(中略)


そして歌人のお母さんは、静かに庭へ降りて行く。と、その後へ夜間撮影を終つた兄さんの時彦が、ぼんやり眼をこすり乍ら帰つて来る。


ー夜間撮影で、すつかり眼をやられちまつた。


ーだから、映画俳優つていやね。


ー芝居の俳優だつていやだぜ。毎日同じこと許りやつてゐるなんて、第一気が利かないや。


ー映画だつて、兄さんなんかいつも同じことばかりやつてゐるぢやないの。


ーだから今に監督になるのさ。


といふやうな会話が兄妹の間に交わされると、お鍋の中のエツグがさあーっとボイルドされる。お母さんも、そこへ歌を作つて帰つて来られる。


ーお母さん、ボイルド・エツグ四つばかり出来ましたわ。


ーわたしも歌が、四つばかり出来ましたよ。


ーお母さんの歌も、いよいよ生活に則して来たな。


などと相変らず、時彦は意味ないことを言つてお母さんに睨まれる。


安英がお父さんの室へ一人で入つて来る。


安英 おとうさま。


実篤 なんだ。


安英 これをごらん下さいまし(手紙のやうなものを出す。)


実篤 (受とつて見る)これは手紙ぢやないか。


安英 手紙です。どうぞお読みください。


実篤 (よむ)私はあなたを心から愛します、なんて書いてあるぢやないか。


安英 その私といふのが、手紙を書いた人で、あなたといふのがこの私のことです。


実篤 ではこれはラヴ・レタアぢやないか。


安英 はい。


実篤 お前のところにもうラヴ・レタアが来るやうになつたのかね。


安英 あら、お父さま。


実篤 この男はどういふ気持の男かね。


安英 私にはよく分りませんわ。


実篤 ではどういふ風采の男かね。


安英 風采ならお父さんに一寸似てゐますわ。お父さんのお書きになるものは何でも読んでゐるんですつて。


実篤 お父さんに似てゐるのなら、わるくはないだらう。


安英 まあお父さまはずゐぶん自信家ですこと。


実篤 これはまゐつた。

*1:モダーンな表紙やカットを佐野繁次郎東郷青児が手がけている!のも嬉しい。

*2:=柳原白蓮、九条武子・江木欣々と並ぶ大正三大美人のひとり。

*3:人見絹枝のことは『茶目子の一日』を見るまではほとんど知らなかったのですが、陸上競技だけでなく文章もよくした人だったらしい。肺炎のため24歳で夭折....儚い。

*4:新劇女優。小山内薫と土方与志らによる築地小劇場の第一回研修生。

*5:溝口健二の日活作品『東京行進曲』の主題歌としてタイアップして大ヒットを記録した、佐藤千夜子「東京行進曲」(西条八十作詞・中山晋平作曲 :asin:B00005GXO5)の歌詞を指すと思われます。「シネマ見ましょか お茶飲みましょか いっそ小田急で逃げましょか」の部分。ちなみに、私の一番のお気に入りはこの曲ではなく「当世銀座節」なのですが。