しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


英パンの死



英パンの死については、色々な人が様々なおもいを綴っている。小津安二郎が、谷崎潤一郎が、内田吐夢が、岸松雄が、山本嘉次郎が、斉藤達雄が、牛原虚彦が、そして、件の本の著者、南部僑一郎が。



その他、現物は未確認ながら、書籍では入江たか子映画女優』(学風書院)や浦辺粂子『映画道中無我夢中 : 浦辺粂子の女優一代記』(河出書房)に英パンについて語っている章があるし、雑誌では『映画の友』1934年3月号に追悼文を『キネマ旬報』の田中三郎や、批評家の鈴木重三郎、プロデューサーの松山英夫、共演した女優の入江たか子岡田嘉子が書いているらしく、これらについても早々に調べるつもり。いずれも、川喜多記念映画文化財団(http://www.kawakita-film.or.jp/)の公開しているデータベースで確認したのだけれど、ここのライブラリの素晴らしいの何のって.....!貴重な戦前映画関連本・雑誌の宝庫で驚く。とりわけ雑誌のコレクションが凄すぎる!と久々にブラウザの前で大興奮。さすがに川喜多長政・かしこさんの財団だわー。平日しか閲覧できないそうなのだけれど、絶対に近日中に休みを取って訪問したい。


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大正活映時代のデビュー作、トーマス栗原『アマチュア倶楽部』(大正九年1920年)で見せる、白でトリミングされた水着姿でか細い膝を抱えて海浜に座っている、まだ少年のあどけなさが残る顔立ち。



日活時代の代表作、阿部豊『彼をめぐる五人の女』(昭和二年、1927年)で見せる、美女五人に翻弄される軽薄プレイボーイの美青年を演じた端正な横顔。



松竹蒲田時代、小津安二郎『東京の合唱』(昭和六年、1931年)で見せる、「失業都市・東京」にて会社をクビになるサラリーマンをユーモアと哀愁とを漂わせて見事に演じたそのくるくる変わる豊かな表情。



そして、わたしたちの観ることができる最後の作品。
新興キネマ時代、溝口健二『瀧の白糸』(昭和八年、1933年)で見せる、彼の美しさの極みとも思える澄み切った瞳に透き通った白い肌。そして、倫理の人として、真実を述べるように法廷で白糸を説き伏せるその力強いまなざし。

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山本嘉次郎が「晩年、彼の名演技は、ますます冴えた。」と言っている(id:el-sur:20070829)とおり、着実に名優の域に達していった岡田時彦。さらなる高みに昇るはずだった、まさにその時に、「俳優としてはこれからが本筋になるんだなあ」と本人もそう言っていた時に、あっけなく亡くなってしまうなんて。本当に何て勿体ないことなんだろう。谷崎潤一郎も言うとおり、やはり岡田時彦は「天才」だったのだ。「佳人薄命」という言葉を男性にも用いてよいのかどうかは知らないけれど、まさに英パンのためにあるような言葉だと思う。激しく劇的に生き、ほんとうに美しい人は若くして綺麗なまま死ぬ。だから、永遠に綺麗なまま人々の心に残る。凡庸な人は適度に幸福で平凡な人生を歩み、ゆっくり年老いながら朽ちてゆくのだ、とか何とか、英パンの死を思う時、つい大袈裟な断定口調めいた極論を打ちたい誘惑に駆られてしまう.....。



英パンの死の様子を詳しく綴っている二つの文章を発見、どちらも興味深い。日活・新興キネマの合同追悼映画会の様子を詳しく綴った文章はないもんだろうかと気になるし、牛原虚彦の文章はほぼ実録といった感じで、谷崎潤一郎がどのようにして岡田時彦の戒名「香雪院雪瑛居士」*1をつけたのかが手に取るように判ってかなりじーんと泣ける。

*1:結局は「清光院幻譽雪瑛居士」という戒名がつけられたようである。