しっぷ・あほうい!

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「モダン・ボーイ溝口、日本を再発見」


先週末の溝口健二『瀧の白糸』鑑賞に向けて、毎日その日が来るのを指折り数えながら、ほとんど何をやっても上の空でただただ英パンとの「逢瀬」を(って、もう阿呆ですね、逢瀬って(笑))待ちこがれていたので、無事にそれが終わったと思ったら、集中力が切れたのか途端に風邪を引いてしまいました。我ながら判り易すぎる.....。


それで、具合がどうにも冴えないので、機嫌もななめに新文芸座の売店で買ってきたパンフレット「はじめての溝口健二」をぱらぱらと見ていたら、そういえば、と言って家人が棚から出して来てくれた本。『瀧の白糸』についても語っていて、おもしろいので引用します。ていうか、あまりにおもしろくて途端に元気になってしまう。やっぱり淀川さんは凄すぎる!あの蓮實重彦がタジタジだもの。


「モダンボーイ溝口、日本を再発見」(蓮實重彦『映画に目が眩んで 口語篇』*1淀川長治との対談より一部抜粋)


蓮實 今日は、サイレント時代から見ておられる淀川さんに、溝口健二の魅力をたっぷりうかがいたいと思って駆けつけてまいりました。


淀川 まあ、ありがとう。小津安二郎とか、この溝口さん、ぼくの最高に好きな人なの。でも、小津安二郎は東京のお方だからね。映画見てると。鎌倉とか東京の匂いがプンプンしてね。(中略)生意気な、図々しい、このハイクラススタイル、思うのね。


蓮實 生意気な、とお思いになる(笑)。


淀川 そう。何か調子が高ぶっとるの、同窓会だとか、やれ東大出たとか、勝手にさらせと思うのね(笑)。ところが、片っ方の人はね、下町の芸者とか、非常にネバネバしとるの。これでやっと地元に帰ってきたみたいな気がする(笑)。溝口健二という人はね、私の最も最も尊敬する監督なの。


蓮實 淀川さんは、溝口というとよく『狂恋の女師匠』の話をなさって見ていないぼくたちを嫉妬に狂わせるんですが、それが一番古いものですか。


淀川 もっともっと前から見とるのよ。最初は、あの人は谷崎潤一郎さんと同じで不良少年みたいでしたなあ。何だか連続活劇みたいな感じからお作りになって。


蓮實 日活向島時代にはアルセーヌ・ルパンみたいなものがありますね。


淀川 ああいうのがお好きだった。一時『新青年』趣味みたいなとこがあったけど、モダン・ボーイが入っていく道ですね。


蓮實 『血と霊』*2は御覧になっていますか。表現主義映画として噂に聞くんですが。


淀川 見ました。気障な映画だったなあ。でもモダン・ボーイだったね。


蓮實 『血と霊』の後、震災で京都に行かれるわけですね。


淀川 京都でだんだん分かってきたらしい、日本が。


蓮實 そして『狂恋の女師匠』が出るわけですね。


淀川 これでね、ビックリ仰天したの。何ていいものか、思って。


蓮實 サイレント末期には泉鏡花の『日本橋』を撮っています。


淀川 あれは、ぼくの映画の神様。でも、これは見たとき、正直に言ってね。情けなかった。感心しなかったの。この程度かと思った。あの『日本橋』がね、鏡花の『日本橋』は私の命だったから。ところがね、見てから三日、四日考えて、考えて、だんだんよくなってきたのね。画面が見えてきたの。やっぱり、いいぞと思った。だんだんあとからよくなってきたのね。(中略)梅村蓉子が非常に、不思議なくらい出来がよかったの。


蓮實 梅村蓉子はほとんどスチールでしか知りませんが、初期の溝口にはなくてはならぬ女優さんですね。葛木晋三役の岡田時彦という役者はどうでしたか。


淀川 いいです。二枚目。岡田時彦の映画がね、ぼくは気障で大嫌いだった。頭がベチャーッとして。*3けど配役としてよかったのね。(中略)


蓮實 そのあと『東京行進曲』『都会交響楽』とか....。


淀川 あまり好きじゃなかった。ぼく、現代劇は好きじゃないの。あの人の変な現代劇は。


蓮實 『ふるさと』でトーキーになりますね。


淀川 テノールの人(藤原義江)が出たやつね。トーキーになったというので見ました。あんまり好きじゃなかった。


蓮實 そのあと『唐人お吉』。


淀川 これがいいんですよう。当時の最高。もういいねえ、梅村蓉子。(中略)『唐人お吉』は全部喋れますよ、というぐらい。見事なものだった。息呑み込んで楽しんだ。面白いよー。立派なものだった。これは今フィルムないのでしょう?これがあったらねえ、ベルイマンでも喜ぶよ。


蓮實 いや、いまのお話をうかがっていると、ベルイマンなんてもんじゃない。格が違います。


淀川 そりゃねえ、『七人の侍』ぼく大好きやけど、溝口はあんなものじゃない。『七人の侍』だって幼稚園だ。ぼく、黒澤さん大好きよ。けど、こんな女は描けない。女描いたら天下一品や、溝口健二


蓮實 黒澤明ベルイマンもサイレントを撮っていません。サイレントから始めた溝口健二とは決定的に違うと思います。黒澤もベルイマンも決して嫌いではありません....。


淀川 決して嫌いではありませんだって。素直に嫌いとおっしゃい(笑)。けど、本当に違うなあ。溝口さん、ぼく、本当に好きなんや。(中略)


蓮實 それから『瀧の白糸』になります。


淀川 『瀧の白糸』はねえ、『日本橋』よりは悪い。入江たか子でしょう、質が落ちる。綺麗で悪くないけどな。


蓮實 われわれはここら辺から見てるわけです。もちろん後からですが。導入部の走っている馬車が待って男と女が言葉を交わすシーンが素晴らしいんで、つい入江たか子もいいなあ、岡田時彦もいいな、と思ってしまいますけど、やはり落ちますか。それから『折鶴お千』。


淀川 良くない、やっぱり良くない。


蓮實 昔を知りませんから、ぼくなどすっかり感心してしまうのですが。


淀川 ご免なさいね(笑)。

と、まあ、こんな感じ。
淀川長治はやっぱり本物だよなあ、凄すぎる。読みながら涙が出るほど笑ってしまう。小津安二郎にはそのハイソな雰囲気に「生意気な」「勝手にさらせ」と言ったかと思うと、ヴェネチア映画祭で賞を取った黒澤明七人の侍』も淀川さんに言わせれば「幼稚園」なんですと!こんなことは淀川さんにしか言えないよなあ、おもしろすぎる。もちろん、その後ろには溢れんばかりの映画愛があるからこそなのですが。何と言っても『アマチュア倶楽部』までリアルタイムでちゃんと観ている映画の神様みたいなお人、淀川さんの映画本をもっとたくさん読まねば、と思う。それから、まだ観ていない残りの溝口作品もやっぱりちゃんと観ておかないと!



日本橋』『唐人お吉』『西鶴一代女』、これは私の命だ。(淀川長治


*1:isbn:4120024849

*2:この映画について依田義賢は『聞書き キネマの青春』にて、村田実と対比させるかたちでこう言っている。「あの人(溝口:引用者注)はその点もう全く無節操なんです。すぐにかぶれる(笑)。流行にはすぐ手を出して、それでアカンとなったらやめてしまう。村田実のは節操のあるバタ臭さですから、それはちょっと違いますよ。(中略)溝口さんというのは弱いんだな、ああいう村田さんみたいな、文化人タイプには。私に向かって「イプセンですよ、君は何も知らない、君なんか無知ですよ!」「村田はイプセンですよ、彼ははじめから通ですよ!」と言うわけです(笑)。」

*3:英パン、物凄い言われようです、「頭がベチャー」って酷すぎる(笑)けど、淀川さんの手にかかったら文句は言えません。でも1920年代当時の白塗り時代の二枚目俳優の髪型は皆ポマードべったりだから仕方ないよなー。