しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

終日休みを取って、午前九時半の開館時間と同時に国会図書館でいそいそと岡田時彦関係資料をひたすら閲覧して過ごす。映画と同様、彼に言及されている本や資料の少なさよ。寂しきことなり。目ぼしい論文をコピーした後、ついこの前、岸松雄『日本映画人伝』の中で、英パンの逗子開成中学時代の一つ下の同窓だったと知った徳山たまきが気になって、さっそく『徳山たまき随筆集』(輝文館、昭和17年)を閲覧する。英パンについて書かれた章がいくつかあり。徳山たまきは藤沢から逗子に、岡田時彦は鎌倉からそれぞれ通っていたのだそう。「眉目秀麗で、その上身なりがキチンとしてゐたので、何となく好意がもて、いつの間にか話をするようになった。(中略)彼は活動俳優、我は声楽家と約束した。」とある。岸松雄のエーパン由来説は、この徳山たまきの随筆集からそっくりそのまま採ってあるのだった。中学時代の親しい友人の話として、やっぱりこの説*1の方が正しいのかな。



その足で、午後は演劇博物館主催の講座にて、古川ロッパのサラリーマン・オペラ『ハリキリ・ボーイ』(P.C.L.、1937)を観る。立川談志が来ていた。そこで何が驚きだったって、出演者の一人に今しがた国会図書館にて閲覧していた徳山たまきが居たこと!あまりのタイミングに驚きよろこぶ。そもそも徳山たまきのことが気になったのも、ちょうど読み進めていた古川ロッパの昭和日記にて何度も彼の名前が登場していて、彼が若くして亡くなった時にロッパが号泣した、というくだりを読んだからであった。それがあったので、岸松雄の本に出てきた時に「はて、此の名前はもしや?」と思ったのだ。こういうことがあるから、本読みと映画鑑賞は止められない。



映画の方は、此の時代のP.C.L.ならではといった感じで実にたわいない可愛らしい映画なのだけれど、カフェーでロッパが藤原釜足とお酒を飲むシーンでは大好きな「アラビアの唄」がかかってにっこりだったし、能勢妙子が何と劇中で渡辺はま子の「とんがらかっちゃ駄目よ」を歌詞を変えて披露するという素晴らしいおまけまで付いてきて(やっぱり『ハリキリボーイ』のB面だったからなのか知ら)、先達って小津安二郎『淑女は何を忘れたか』で『とんがらかっちゃ駄目よ』が唄われてたのを発見したこと*2を思い出しながら一人でいつまでもにんまり。そうか、この『ハリキリボーイ』も『淑女は何を忘れたか』も同じ1937年の作品なんだな。「とんだらかっちゃ駄目よ」という曲で繋がっている二本の映画、小津安二郎古川ロッパが繋がった!ということを確認して、自由研究の甲斐があったナアとじーんと感激する。

*1:岡田時彦は別名を「英パン」と云った。本名が高橋英一と云う極くつまらない名だったので、せめて派手に英パンとつけたまでである。」

*2:http://d.hatena.ne.jp/el-sur/20070523