しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


「モダン日本の里帰り 大正シック」展(東京都庭園美術館



からりと晴れあがった土曜日の昼間、ようやっと懸案の「着物で庭園美術館」を敢行する。本当は群青色と鼠色の縞着物(はじめての柔らかもの!)に水色にサーモン・ピンクや薄紫色や卵色やらの色がちりばめられている染め帯を締めていこうと思っていたのに、あれよ、あれよ、と言う間に4月、5月は過ぎ去り、気がつくともう紫陽花の青が日増しに色濃くなる季節で、いつの間にか単衣の月に突入してしまっていたのだった、あーあ。結局、いつもの格子の会津木綿に蜜柑色に若草色のアール・デコ帯といういつもの代わり映えしない着物になってしまう。「大正シック」なのに...。


そんな与太話はさておき、東京都庭園美術館は、可能なら住居にしたいと思っているくらいに(ってただの寝言ですね、すみません)好きな空間なので、ここに足を踏み入れるだけでいつもにんまりとご機嫌になるのだけれど、今回も違わず、ラリックのレリーフを眺めて、赤い絨毯を最初の一歩踏みしめるだけでうっとりと胸が高鳴る。


展示数が約80点ということで、たいした数ではないし、特に目をみはるほどの展示ではなかったけれど、それでも中村大三郎「婦女」(1930)はたいへん美しい日本画だった。モデルは18歳の入江たか子!とのことだけれど、えーと、入江たか子*1ってこんなに美人だったっけ?と思う程に美しい絵。特に、長椅子にやや奔放とも思えるぐあいに投げ出された足と草履の爪先と真紅の着物の袖から覗く白い腕から細い指先にかけてのラインが女のわたしでもぽーっとなってしまうくらい美しかった。


山川方夫の父が日本画家だったなんて知らなかった!、山川秀峰「三人の姉妹」(1936)は、車と三人姉妹というモティーフがいかにもモダン*2で、この前年に撮られた成瀬巳喜男『乙女ごころ三人姉妹』(1935)に影響を受けているのかなあ?などと思ってしまう。


おもしろかったのは、この絵のモデルとなった三姉妹の写真も一緒に展示してあったのだけれど、三姉妹の着物のおはしょりが大中小というか、松竹梅というか、とにかく、三人ともおはしょりの幅の取り方が全く違うところ。今だと「人差し指分」のおはしょりを取る、とか言われているけれど、昔の人は割とそんなものは気にせずに自由に着物を楽しんでいたのだなあと思う。


それと、収穫だったのは、山村耕花「踊り 上海ニューカルトン所見」(1924)と柿内青葉「十字街を行く」(1930)を観られたこと。山村耕花「踊り 上海ニューカルトン所見」(1924)は1998年に神奈川県立近代美術館で開催された「モボ・モガ展 1910-1935」で出品されていたのをちょうど図録で観ていたところだったので「おっ!」と嬉しい。それにしても、図録で眺める「モボ・モガ展 1910-1935」はヴォリューム、展示内容ともに素晴らしすぎて、見逃しているのが返す返すも残念なり。田中恭吉「ニコライ堂」からはじまって、影山光洋のモダンTOKIO写真、鎌倉館の展示で観てずっと気になっている和達知男、村山知義による三科やマヴォ恩地孝四郎の装幀、『浅草紅団』*3太田三郎による挿絵(カジノフォーリー梅園龍子!)、杉浦非水による三越のポスターから河野鷹思による松竹キネマのポスターまで、余すところなく網羅していて本当に素晴らしい。


酒井忠康が館長だった頃の神奈川県立近代美術館は凄かったんだなあ、と「大正シック展」のやや物足りなさに「モボ・モガ展」への叶わぬ思いがふつふつと沸き上がってきた展示だった。まあ、でも庭園美術館は場所の雰囲気込みだから何とも難しいのですが。


*1:入江たか子といえば、まず思い出してしまうのは、溝口健二に凄いダメ出しされて「こんな演技だから化け猫映画にしか出られないんだよ」とか言われたという「溝口人でなし」逸話なのだけれどなあ。

*2:車と一緒のポートレート、というのは『日本映画とモダニズム 1920-1930』にて片岡千恵蔵や鈴木伝明もやっていた。

*3:英訳タイトルは"The Scarlet gang of Asakusa"なのだそう、つい最近知ったのですが何て愛らしいのでしょう!スカーレット・ギャング、だなんて。