しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


楽しみと日々
金井美恵子・金井久美子『楽しみと日々』(平凡社



新刊が出ると迷わずレジへ直行してしまう現役作家*1というのは、わたしの場合は金井美恵子だけなので、今回も本屋で赤い字を見つけて、わーいと喜び、家へ帰って嬉しさに心躍らせながら、早速、本を開く。



金井美恵子の映画エッセイは、たとえば『愉しみはTVの彼方に』(中央公論社)などを読むといつも、自分の映画体験のあまりの薄っぺらさ加減ー端的に言って圧倒的に映画を観ていないのだ!ーに、ただただため息を吐くばかりといったところなのだけれど、とここまで書いたところで、そういえば、この本のタイトルも「愉しみ」ということばが使われているんだなあ、とはたと気付く。映画は美恵子先生にとってやっぱり愉しみであり、楽しみなのだな。



ええと、それで話は元に戻るけれど、その圧倒的に薄っぺらいわたしの映画体験の中でも、かろうじて観たことのある作品が何作かはそれでもあって、それらについて書かれた彼女の文章を読むことがーちょうど今頃の季節に小さなボートに乗りながら腕を伸ばして指先で冷たい水に触れながら進むように、そう、それはあの美しき『アタラント号』のように!ーわたしにとっては心地好く嬉しい。今、久しぶりに書棚にあった『愉しみはTVの彼方に』を開いてみたら、マックス・オフュルス歴史は女で作られる』は「めまい」で出来た映画だ、と書いてあって「そうそうそう!」と思う。オフュルスのこの映画を観終わった後にぐったりと疲れてしまうのは、旋回するスカートにめくるめく輪舞のようなカメラワークが「めまい」を引き起こすからなのだ。



さて、新刊。
何と言っても嬉しいのは、今までの映画エッセイにおける数々のスチールに代わって、姉の久美子さんのオブジェ作品がカラーで掲載されていること。個人的な色や加減の好みで一番気に入っているのは「ジョヴァンニ」という作品だけれど、「欲しい!」と思うのは「山田五十鈴BOX」、眼に焼き付いて離れないのは「ヴァンダに...」と「『裁かるるジャンヌ』へのオマージュ」。ペドロ・コスタヴァンダの部屋』、わたしは『骨』の方が好みだけれど、あの貧民窟の窓から差し込む白い光とヴァンダの強靭な、はがねのような眼差しは物凄いものがある。カール・ドライヤーのジャンヌも一度観たら二度と忘れることができない顔。それにしても、「山田五十鈴BOX」は素晴らしいなあ。昨年、フィルムセンターの溝口健二特集で観た『祇園の姉妹*2『浪華悲歌』*3での山田五十鈴が本当に後光が差しているんじゃないかと思う程に凄すぎたので、この素敵なオブジェと本の中の美恵子先生の「山田五十鈴の眼差し」にはもう何度頷いても足りないくらい。



それから、『目白雑録』の中で「あまり小津を好きではない」と書いていたような記憶があるのだけれど、「完璧な宇宙」と題されたエッセイの中で小津安二郎の初期作品『学生ロマンス 若き日』を取り上げていたのが、戦前の小津映画がことの外好きなわたしにとっては嬉しい出来事だった。「何度でも繰り返し見たくなる完璧な宇宙としての映画」(P.25)とは、まさに小津映画の魅力を言い表している。



文中でポロックのシリーズタイトルを『モーヴィ・ディック』としているのは、"Moby Dick"=『モービィ・ディック』の間違いだと思うけれど、そんなことはどうでも良くなるような魅力がやっぱり金井美恵子の紡ぎ出す文章には溢れ返っているのだ。久美子さんにはオリヴェイラ『アブラハム渓谷』のエマ・ボヴァリーの、オースティン『エマ』の、「エマBOX」もぜひ作って欲しい!と一ファンとしては無邪気にそんな空想をしてみたり。



来週からはじまる久美子さんの作品展と、金井姉妹によるジュンク堂池袋店のトークショーも大へん楽しみ。



<追記 5/17>
金井美恵子さん急病とのことでジュンク堂よりトークショーは延期のお知らせあり。大へんに残念ですが仕方ありません。秋に延期とのことなので、その日を心待ちにしたいと思います。美恵子先生にはゆっくり休養していただいて、そして、どうぞ早く良くなりますように...!


*1:新作がかかると迷わず観に行ってしまう現役監督というのは、わたしの場合はマノエル・ド・オリヴェイラだけ

*2:id:el-sur:20061204

*3:id:el-sur:20061215