しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


「北尾鐐之助、北尾鐐之助」と覚えたての名前を呪文のように唱えながら、さっそく「ひょい」と検索してみたら、やっぱり勤務先の図書館にはちゃんと北尾鐐之助の本が何冊もあるのを発見、さすがにさすがの図書館なのである。わたしにとっては何でも手に入る魔法の玉手箱!それで、積読の本が溜まりに溜まっているにも関わらずまたしても借りてきてしまう、北尾鐐之助『覆刻版 近代大阪』(創元社、1989)*1。卵色の表紙の上下にブルーのラインを引いたモダンな装丁の本で、描かれているイラストも断髪のモガやレヴューの踊り子たちのハイヒールに包まれた足、アーチ状の鉄製の橋、飛行機、大阪城、自動車、船、路面電車、高層ビルヂングとまさに都市モダニズムが見て取れるようなもので、それだけで本を開く前からわくわくと嬉しくなる。そして、巻末の解説を見たらなーんだ我らが海野弘(!)が書いていらして、この本が大阪にも1920年代のモダン・シティがあると確信させてくれた一冊だったというからびっくり。

大阪にも一九二〇年代のモダン・シティはあるだろうか、という問いを持って大阪にやってきた時、私は北尾鐐之助の『近代大阪』という本に出会った。大阪にも<二十年代>は必ずあるはずだという確信を持っていたけれども、その予想にあまりにも見事にこたえてくれる本があったことに、わたしはわくわくした。『近代大阪』は大阪の<二十年代>の都市風景の発見の見事な水準を示す傑作である。

さらに、文中には「この本にはげまされて、私は大阪の一九二〇年代をたどり、『モダン・シティふたたび』をまとめることができた。」とまである。うわー、そうだったのか...!トークショーにまでのこのこ出かけて行くような海野先生のファンなのに知らなかった...というか、白状すると、以前は主にパリやニューヨークの世紀末から20年代にかけての都市文化ーーガートルード・スタインを巡る人々、カフェ・クーポール、モンパルナスのキキ、ジョセフィン・ベイカー、イサドラ・ダンカンにバレエ・リュスとか『移動祝祭日』周辺の話に興味があったから、そちらの方面の著作ばかりを読んでおり、日本のモダン都市文化が気になりだしたのはごく最近で、関連の著作も東京について書かれたものをざっと数冊を読んだ程度で、横目で気になりつつも、まだまだ大阪まで手が回っていないところであったのだ。


という訳で、『モダン・シティふたたび』という課題図書がまた一冊増えてしまった(嬉しい悲鳴!)のだけれど、海野先生が太鼓判を押している大阪モダニズムを知る上で貴重な一冊に偶然に出会えたなんて、わたしは本当に運が良い。


とか、一人にんまりと幸福を噛み締めながら本の最初の頁を繰ると、何とそこには「上空大阪」とあるではないか。モダン・シティ大阪を「さあ、これから遊覧しよう」というのに、本当に何という、うってつけの冒頭なのでしょう、ああ、ヒコーキ!


この本が書かれたのがちょうど1932年、尾崎翠の『こほろぎ嬢』が書かれたのと同じ年。脚本家の北村小松が無類の飛行機好きだったからか、ラストシーンで唐突に飛行機が登場する*2五所平之助『マダムと女房』が製作されたのがその前の年の1931年、百鬼園先生の羅馬訪欧飛行機「青年日本号」が成田から飛び立ったのも同じ年の1931年。そして、ヒコーキ野郎といえば、未来派展に「空中世界」を発表して、古賀春江(!)にそのモダン感覚を褒められたという稲垣足穂も忘れてはいけないし。


...とか何とか、ヒコーキをキーワードに色んな嬉しい発見をするすると芋づる式に思い出して、また、一人わくわくと心踊って夜が更ける。


*1:isbn:9784422250069

*2:しかもそれを見て田中絹代が言う台詞は「ヒコーキに乗って大阪へ行きたいわ」なのである!映画好きでもあった北尾鐐之助は日本映画初の本格的トーキーであるところのこの作品を観たのだろうか?ちょうど翌年に出版されたこの本が「上空大阪」からはじまるということが、この映画への大阪からの回答であるかのような気がして胸が高鳴る。