しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


本屋でふと手に取った、齋藤愼爾編『キネマの文學誌』(深夜叢書社*1をぱらぱらと立ち読みしていたら、尾崎翠の「映画漫想」からの抜粋で、翠の観た映画とその解説も載っていたので、ほう、と眺める。いずれも1920年代から30年代にかけての作品で、わたしは翠の全集(創樹社版)を持っているのだから、今までにも、この「映画漫想」を何度か読んだことがあるはずなのだけれど、チャアリイのこと以外は、一向に憶えていない。取り上げているのが、知らない映画ばかりだったからだろうか。


今回も、あれからもう何年も経っているというのに、未だ観たことのない作品ばかりで、1920〜30年代文化研究とか偉そうなことを言っている割には、己の教養のなさを恥じ入る結果となって肩を落としたのだけれど、ひとつ嬉しかったのは、溝口健二藤原義江のふるさと』(1930)と衣笠貞之助『道中双六駕籠』(1927)が紹介されていたこと。といっても、どちらの映画も観ていないのだけれども。というより、溝口のこの作品は、去年のフィルムセンターで上映された時に、『東京行進曲』(1929)と一緒に観ようかどうしようかと迷っていて結局、逃してしまったうちの一本なのであった。『東京行進曲』は特に、その後にモダン都市研究を進めていく上で、色んな文献に何度も登場しており、作詞に西条八十と作曲に中山晋平コンビで佐藤千夜子が唄った主題歌「ジャズで踊って リキュルで更けて 明けりゃダンサーの涙雨」を含め、必見だったということが判明してまたがっくり。あーあ、いつもいつもこうやって後になってから観ておけば良かったと後悔するのだ。本当に返す返すも残念なり。翠が取り上げていた作品ではないけれど、新感覚派映画連盟の第一回作品で川端康成が脚本を書いた、衣笠貞之助『狂った一頁』が有楽町朝日ホールで上映される*2ようなので、やっぱりこの機会に観ておこうかなあ。昨年の、海野弘先生のトークショーの際にも、20年代映画のレファレンスとして挙げられていたし。