しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


小津安二郎小早川家の秋』(1961年、東宝


死と死の予感が満ち満ちている映画。


秋日和』で司葉子を借りたお返しに、東宝で撮った1961年度作品。
この2年前に「ノンちゃん」「コンちゃん」役で知られた小津組の高橋貞二が交通事故で亡くなり、その妻も自殺するという痛ましい死が続き、この1年後に最愛の母が亡くなり、2年後に小津が亡くなることを思うと、まるで自身に降り掛かる死を予感していたかと思う程に、不穏な響きが画面全体に満ち満ちていて、観ていて大層胸が痛む。


これまでの小津映画では決してこんな風にあからさまに死を全面に打ち出すことはなかったのに、苔むした墓石が幾度となく映し出され、その上には羽を広げた黒いカラスが群がる。嫌な胸騒ぎがする。薄紅色の桜と澄み切ったまっ青な空と、小津好みの朱赤と白の塔が映し出され、あの懐かしい親密な音楽がかぶさる幸福なシーンはもはやそこにはなく、代わりにもくもくと煙を出す火葬場の茶褐色でレンガ造りの煙突が、観るものをまるで突き放すかのように、淡々と映し出されるだけだ。『お早よう』では感じなかった黛敏郎の音楽も、普段の小津映画では出てこないような楽器(ハープシコード)を使っていて、それも何だか妙に胸騒ぎがする。


中村鴈治郎浪花千栄子の関西弁でのやり取りは本当に観ていて気持ちがよくなるほどに素晴らしいし、しゃがんで談笑する原節子司葉子は『秋日和』コンビそのままで、二人とも女学生のように可愛らしいし、あらま、少し背が伸びたのね、『お早よう』の勇ちゃんこと島津雅彦も今度は関西弁の小僧役で楽しませてくれるし、大好きな「あきれたぼういず」の山茶花究も出ているというのに、気分は一向に暗い気持ちのまま、振り払おうとしても振り払えない嫌な胸騒ぎと、あれやこれやと余計なことを思い出してはどうにもやりきれない感傷とがじわじわと滲みだすように心を覆い尽くし、やがて訪れる中村鴈治郎の死であっけなくふっつりと途切れる。


ああ、これは何という暗い映画だろう。


田中眞澄編『小津安二郎戦後語録集成 昭和21(1946)年ー昭和38(1963)年』(フィルムアート社)に収められている、佐田啓二の看護日誌「おやじ小津安二郎はもういない」を思い出して、また、胸がつまる。