しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

2007.03.01(thu.)
Vashti Bunyan Live at Liquidroom, Ebisu, Tokyo



昨日の夜は、Vashti Bunyanのライヴをリキッドルームで観る。
1970年にリリースされた"Just Another Diamond Day"*1をはじめて聴いた時の「おお!」という新鮮な驚きは、1曲目のイントロでVashtiがあの奇跡的としか言いようがないウィスパー・ヴォイス(天使のため息?いいや、もしくは妖精の囁き?)で、hmmmmとハミングするのを聴くと、未だにありありとよみがえってくるのだけれど、目の前に座って、曲が1曲終わるごとに恥ずかしそうにはにかみながら客席をちらりと見遣って、ギターをつま弾いている女の人は本当に何もかもがあのCDと同じだった、あれからもう37年も経っているのに.....!



ブリティッシュ・フォークの深い森に、わたしは『ストレンジ・デイズ』を愛読してしまうほどには足を踏み入れてはいないけれど、それでも、Vashti Bunyanのこのアルバムは、Duncan Browne"Give Me Take You"(1968)*2とTudor Lodge"Tudor Lodge"(1971)*3と並ぶマイ・フェイバリットとして長いことわたしの定番でした。そんな人のライヴを今2007年のトーキョーで観ることができてしまうという、この驚愕の事実。これは一体全体何なんでしょうか?トーキョーには何でもあるーそして何もないって誰かが言ってたけど、トーキョーという都市がある種狂気というか特殊というか異様なのか知ら。まあ、そんなことはどうでもよくて、とにかくVashtiのライヴを観ることができた、というだけでもうありがたすぎてお腹いっぱいです。


ライヴの方は、何せトータルの収録時間が40分だか30分だかのアルバムがたった2枚しかないのですから、おのずと演奏する曲も時間も限られてくるので、「もう演奏する曲がないのよ」と言いながら、同じ曲を二度演ったりもしていたけれど、それでも会場はみんなにこにこ顔。"Diamond Day"も"Jog Along Bess"も2回聴けるなんて、こんな機会がこんな幸運がこの先あるとはもうとても思えないのだけれど。


彼女が曲が終わるごとに1曲ずつ丁寧に「この曲を作った時は〜」という解説をしてくれたのだけれど、それを聞きながら、彼女がこのアルバムの曲を作っていた頃の生活というのは、それこそアルバムのジャケットに出てくる牛や馬や羊や犬たちとそして友人たちと一緒に"on the journey"の日日だったんだなあと思う、そう、The Whoのマジック・バスや、やや前だけれどケン・キージーのサイケデリック・バスの時代。そういう話を聞くとあらためてこのアルバムからレイト・シックスティーズの香りが色濃く漂ってきて、ここ最近ずっと忘れかけていた60年代への関心がまたふつふつと沸き上がってきたりもします。


あと個人的に収穫だったのは、サポートメンバーとして彼女の隣でギターをつま弾いていた青年がNick Drakeばりの美声でグッド・ルッキンで何とも素敵なの!終演後にお友達たちとも「あれは誰なんだろう?」と話題もちきりでした。さっそくうちに帰って調べてみたら、どうやら彼はGareth DicksonというアーティストでFat Cat Recordsでmp3のダウンロードもできる*4よう。自作の"Two Trains"という曲を演ったのだけれど、一瞬これまた私の定番、Lambert & Nuttycombe*5の曲かと思った!それくらい素晴らしかった。まだCDは出ていないようだけれど気になる気になる。ほーんとにこれはいい曲なので、Nick Drakeとか好きな人だったら、間違いなく気に入ると思う。ぜひ試聴してみることをお薦めします。


わたしにとってはまだ見ぬ英国のカントリーサイド、「妖精に注意!」という標識の立った橋のほとり、澄んだ小川と小鳥のさえずり、霧に煙るヒースの丘。ところどころひびが茶渋で染まったぽってりしたマグにたっぷり注いだダージリン・ティ、または角砂糖がさらさらとスプーンの下で溶けてゆくその時間。


Vashtiの曲を聴いているとそんなものを思い浮かべたりします。


控えめで慎ましくてか弱くて繊細でうつむき乙女で消え入りそうな声で唄う彼女にこんなにも惹かれてしまうのは自分とは全く正反対の人だからかも。こんなにも心洗われる音楽を聴いているのになぜわたしの魂は一向に洗浄されないのだろうかと思いますが(うわー)それはきっとまた別の話なのね。そんなわたしの呟きにも似たどーでもいい与太話はともかく、Vashtiの音楽に出会えて幸運だったなよかったなと思います、ほんとに。