しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


エルンスト・ルビッチ『生活の設計』(1933)を日仏で。


ルビッチはほんとに上手いなあ。


最近とみに古い日本映画づいていて実は洋画を観るのは久しぶりだったのだけれど、こういう一つの作品として始めから終わりまでプロットに全く隙のない素晴らしい傑作を観させられてしまうと、改めて映画はやっぱり「向こう」から来たものだったんだなあと唸ってしまう。


フレドリック・マーチ扮する売れない劇作家とゲイリー・クーパー扮する売れない画家の二人のグッド・ルッキンに、汽車のコンパートメントで一目惚れされてしまう、ジルダ役のミリアム・ホプキンズはエラの張ったベース型の輪郭で決して大変な美人とは言えないけれど、まるで太陽に向かって両手を伸ばして生を謳歌しているかのような「生きる歓び」が彼女の身体全体から迸るように発せられていて、それが実にいきいきとした魅力となって立ち上ってくる、その素晴らしさといったら。


彼女が動くのを観ているだけで至福の一時といった気分になれるのは、そのコケティッシュで愛くるしい魅力がスクリーン全体に陽光のように満ち満ちているから。二人を両天秤にかけているーしかも一度は彼女のパトロン的な広告会社の男と結婚してしまうのだから、正確には三人ー女という設定なのに、嫌味な感じがこれっぽっちもないのは、彼女が何処までもイノセントな存在として描かれているからなのか知ら。無垢なる天然。昨今のなんちゃって不思議ちゃん女子には辟易するけれど、こういう本物の天然で可愛らしい女性だったらいくらでもお友達になりたい。


売れない芸術家の卵である二人を叱咤して鼓舞して何とか一流に育てようと奔走する彼女の瞳の、何ときらきらと美しく輝いていることか。「わたしは芸術の母になるの!」と言い切るところなんて、何故か知らないけれど感じ入って涙が出た。


二人の男に惚れられてしまう「運命の女」というとやっぱり思い出してしまうのは『ジュールとジム』のジャンヌ・モローだけれど、彼女の場合はまさにファム・ファタルといった感じで、もっとおっかなかったからなー。こういう情念が入りがちの主題をあくまでさらっと品良くコメディ・タッチで描き出すのはやっぱりルビッチならではの手腕といったところでしょう。


観終わって誰もが幸福になれる映画、こういう映画を若い人はデートで観に行けばいいのに!とか、余計なお世話をついうっかり口にしてしまいそうになります。同時開催中の写真展・パリ(わたしの好きなアンドレ・ケルテス!)も大へん素敵でした。去年のルノワールとオフュルスを観に行った以来、久しぶりに行ったけど日仏はやっぱりいいなあ。用もなくても行きたくなるほど。あの空間に足を踏み入れるたびに「ああ、わたしもフランス語ができたなら!」と思います。