しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

モダニズム出版社の光芒―プラトン社の1920年代


小野高裕西村美香他『モダニズム出版社の光芒 プラトン社の1920年代』(淡交社, 2000)


前々から白地社の『ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影』とともに、タイトルからぴんと来て気にはなっていたのですが、専門書だし本屋ではなかなかお目ににかかれないし高いしでそのうち本自体の存在を失念していたりでなかなか読む機会がなかったのを、ここんとこの自分内谷譲次ブームにかこつけて、勤務先の図書館で戯れにふと検索してみたら、蔵書がヒット、大人しく書庫の棚に鎮座ましましていたので、「わあ、あった!」と喜び勇んで借りてようやっと読むことができた。大へんに嬉しい。


プラトン社は中山太陽堂(現・クラブコスメチックス)という化粧品会社が1922年(大正11年)に大阪に設立した出版社で、解散する1928年までのあいだのわずか6年という短い活動期間を文字通り20年代とともに駆け抜けて行った。山六郎と山名文夫をデザイナーにかかえ、川口松太郎小山内薫を編集にかかえ、執筆陣も豪華*1なら、印刷にも紙にも贅を尽くした造本で、中産階級のハイブロウな女性を主なターゲットに『女性』『苦楽』などの雑誌を刊行した。


わたしが『女性』『苦楽』の素晴らしい表紙や挿絵に最初に出会ったのは、数年前に銀座gggとハウス・オブ・シセイドウの二カ所で開かれた山名文夫展だったろうか。ガラスケースの中に収められたその素晴らしく美しい作品たちは時を経て色褪せるどころか果たして今こんな画が描けるイラストレーターが一体全体どれほどいるのだろうか?というくらいのもので、ただひたすら細部に目を凝らす悦びを味わった。ルルに似た断髪*2の黒髪女性の横顔、アール・デコ調の精巧な唐草模様、曲線と直線を絶妙に配置した構図の斬新さ、どれもこれもため息を吐くほどに美しい意匠だったことを覚えている。今回この本で、山名文夫とともにプラトン社に居た山六郎の描いた画をはじめてきちんと意識的に観ることができたけれど、山六郎の画もまたまた素晴らしい。初期の流麗なペン画の作品は笑ってしまうくらいにまんまビアズレーだけれど、アール・ヌーヴォー時代の独特のモティーフ、オリエンタリズムやバレエ・リュスなどの影響が見られる作品などヴァリエテに富んでいて愉しい。山六郎の作品はどちらかというと玄人好みというか、おどろおどろしい部分もあって取っつきにくいような気がするけれど、山名文夫の方はなんだか「ぽやん」としたお嬢さんといった雰囲気の画風でこちらの方が親しみやすいような気がする。丸顔にくりっとしたアーモンド・アイの目と目の間は離れていて、しかも紅は付けてはいるものの、おちょぼ口なのでなんだか女性というよりは少女の顔のようで愛らしい。


画を見る限り、二人ともに才能の面ではまったく拮抗していたのにもかかわらず、「資生堂」を経た山名文夫は未だに光り輝いているというのに、山六郎の方にはほとんど光が当てられていないというのは何とも寂しいことだなと思う。ちょうどある時期までの小津安二郎北村小松の関係のようなものか知ら、と思い巡らす。それとも、二人の画の特徴が示すように、山名文夫の画の方が大衆に受け入れられやすかった、ということなのだろうか。


そういえば、中山太陽堂のことが載っていたナアと思って『日本映画のモダニズム 1920-1930』をまた紐解いてみたら、こんな記述があった。

そのクラブ化粧品がいつごろから松竹蒲田の映画と提携するようになったのかは正確にはわからないが、少なくとも無声映画末期の作品には画面に登場している。(中略)『大学の若旦那』(1933年)にも「クラブ石鹸」のネオンが出てくる(中略)さらに、宣伝効果を見込んだためか、登場人物たちがクラブ化粧品を口にするところまで発展した。たとえば、『嬉しい頃』(1933年)では、江川宇礼雄が膝まくらで川崎弘子を見上げて美しいというと、川崎弘子が「クラブの化粧よ」と答えたりするし、『玄関番とお嬢さん』(1934年)では、藤井貢が突貫小僧に「クラブ歯磨」で歯を磨くように言ったり、また『母の恋文』(1935年)では、買物に外出する坪内美子と吉川満子に向かって高杉早苗が「クラブ白粉」を買ってきてほしいと頼んだり、といった具合である。
村山匡一郎「スクリーンの美粧 メークアップ事始め」より)


これらはプラトン社解散後のことだけれど、30年代松竹映画と中山太陽堂とのつながりも気になる気になる。


追記その1:

そういえば、去年bibliomaniaさんの日記で読んだのだけれど、大阪・北浜にある「アトリエ箱庭」(いつか行ってみたい!)が発行しているdioramarquis2号でプラトン社の特集をするという話、もう出たのかな。こちらも気になる気になる。


追記その2:

『女性』の表紙では全72点のうち約半数がフランスのファッション・プレート*3、主に"Gazette du Bon Ton"からの流用だったとのこと。何と岐阜県図書館が全70号をデジタルアーカイヴ化している*4ではありませんか!これは凄い。どれもこれもあんまり素敵すぎてくらくらする、この色遣い!


*1:ざっと、挙げてみただけでも正宗白鳥田山花袋、里見とん、岡本綺堂室生犀星永井荷風与謝野晶子久米正雄菊池寛内田百間などなど

*2:日本に断髪を最初に紹介したのはメイ牛山なんですって、1926年のこと

*3:18世紀末のヨーロッパに登場し、19世紀に入り刊行数がピークを迎えたファッション雑誌にはさみ込まれた「これからくるであろうファッション情報」を伝えるための図版(p.105より引用)

*4:http://www.library.pref.gifu.jp/digitallib/gazette/index.htm