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眼の狩人 ―戦後写真家が描いた軌跡 (ちくま文庫)


大竹昭子『眼の狩人 戦後写真家たちが描いた軌跡』(ちくま文庫, 2004)*1


打ちのめされるようなすごい本、って米原万里さん(合掌:『オリガ・モリソヴナの反語法』大好きでした)の本のタイトルじゃないけれど、土曜日の夜に全く偶然に観た、あまりにも凄いドキュメンタリーに文字通り打ちのめされて、さっそく明くる日フィルムセンターに行く途中の車内で、大竹昭子『眼の狩人』を読んでいたのだった。あ、中平卓馬の箇所だけ拾い読みだけれど。


中平卓馬は、写真の技術を学ぶことなく「写真家になる」と自ら宣言することで写真家になったのだという。彼に写真のいろはを教えたのは森山大道だった。

ある日首からペンタックスのブラックをぶら下げた中平卓馬がやってきて、「俺、カメラマンになったよ。悪い時代だ」とめずらしく照れていた。細い中平の身体に小ぶりな黒いペンタックスはよく似合った。逗子の喫茶店*2で僕は彼にカメラの操作や露出の関係などを手ほどきした。そして、それからは毎日のように会っては写真の話ばかりしていた。(森山大道『犬の記憶』)


「カメラマンになったよ。」と言って、写真家になってしまった男、それはアリなのか(!)いやはや。
記憶喪失と失語症に陥る前の中平卓馬は、東京外国語大学のスペイン語学科を卒業した後、左翼系の思想雑誌『現代の眼』の編集者となり、そこで東松照明に出会った。日本語の他に英語とフランス語、スペイン語を自在に操りどこの国に行ってもわが街のように歩いたそうだ。病に倒れる数ヶ月前には雑誌の企画で中上健次とスペインを旅したが、同行した編集者によると、旅先で本屋を見つけるとところ構わず飛び込んで行ってしまうので、中上健次とともに「こんなにインテリな写真家がいるのか」とひどく驚いたのだという。


大竹昭子さんの文章は、すっきりと簡潔でいて、しかも大へんに的確な言葉を用いて中平卓馬という人物に迫っている。中平卓馬がいかにして写真の道に入って行ったか、一つの事件*3をきっかけに、彼が標榜していた「記録としての写真」という概念が崩壊し、転覆するさまを目の当たりにした衝撃で、以後、ほとんど写真が撮れなくなってしまったこと、それからどうやってそのスランプを克服しふたたび写真を撮る力を恢復させていったか、などが鋭い視点で書かれており、とてもおもしろい。解説の都築響一のつまらない文章にさえ目をつぶれば、その先の興味へといざなってくれるありがたい一冊になりそう。

*1:isbn:4480039260

*2:これは珠屋洋菓子店のことなんだそうだ。わたしも逗子に行くとほぼ必ず寄る大好きな喫茶店

*3:1971年、沖縄返還闘争で警官が死亡し、新聞に掲載された一枚の写真を証拠として一人の青年が逮捕された。見出しには「青年が警官をめった打ち」と書かれていたが、実際は青年は打ったのではなく、警官を助け出そうとしていたということが判った。一枚の写真が説明文ひとつでまったく別の意味になることに中平は衝撃を受けたという。