■
..その古趣と不潔と野蛮と俗臭の小首府、神様と文明に忘れられたLISBOAが、こうおりぶ油くさい嗄れ声を発して僕の入市に挨拶した。
こんちは(ボタアル)!
こんちは(ボタアル)!何と感謝すべきこの放浪性! その瞬間から僕はりすぼんとリスボンの古趣・不潔・無智・野蛮・神秘・俗悪のすべてを呼吸して、雑音と狭い曲りくねった街路(ワインディング・ストリイツ)の迷宮へ深くふかく分け入った。そして当分出て来なかった。だから君、さっきから何度も保証したとおり、これはみんな、そのあいだにおける僕?ジョウジ・タニイ?のまんだりん仮装舞踏曲であることが一層うなずけよう。BAH!
そうなのだ(こほん、と襟を正して咳払い)。
小津映画で人々が交わす「こんちは」のあいさつはじつはジヨウヂ・テネイ式なのである!(と、思うのですが...)
なぜって、谷譲次が鎌倉・小袋坂の自宅(通称:からかね御殿)で急逝した1935年6月29日、その日の小津安二郎の日記にはこう記されているのだそうだ。
牧逸馬急逝 林不忘 谷譲次ともに姿を消す
その映画化の所謂文芸映画のともに姿を消すは 甚だ消極的なれど日本映画界の向上なり
谷譲次ならぬ牧逸馬に対して、実に正論。だが、より適切な一言があったのではないか。
即ちサノパガン!
さのぱがん!
この前読んだ『テキサス無宿/キキ』*2でいちばん印象に残っているフレーズ。
モダンでパンクでとにかく跳ねててスピード感溢れるこの本に、小津映画の持つ「早さ」*3をつい重ねてみたくなる誘惑に駆られるのは谷譲次にばかりこだわりすぎているからなのだろうか。小津はカタカナでこう書いているけれど本には「めりけんじゃっぷ」と同じようにひらがなで書いてあるのである、なんていう、つまらないことはどうでもいいのである、即ちさのぱがん!