しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

ジョゼフ・コーネル『フラッシング・メドウズ』

フィルムセンターにて、ジョゼフ・コーネルの短編映画『フラッシング・メドウズ』(8分/16mm/1965年)を観たので、忘れないうちに映像の記憶を書かねば、と思いつつも、こんなにあいだがあいてしまった。記憶が薄らいでしまう前に、走り書きしておいたメモを書きとめておきたい。

蒼空に鳥のシルエット、羽搏く鳥たちを追うカメラ、また蒼空。秋の午後の陽光が低く射し込む墓場。光を吸い込んで白っぽく見える墓石、さまざまな色彩の諧調を見せる落葉樹の葉。白い石像のクローズアップ、蒼空と陽光が反射して青みがかっている。蒼空と石像の白の組み合わせは、何となくマグリットの絵画のようでもある。白い雲に、また蒼い空。ある墓石にクローズアップすると、そこに"Mauriac"という名前が刻まれている。噴水池の水面にうつる空、木々。微風がおこす縮緬のようなさざ波。水面にゆれる睡蓮。風に揺れる紅い薔薇、うす桃色の薔薇、薔薇の園。木漏れ日がきらめく。そばかすをつけた大輪の鬼百合のクローズアップ。午後の光にあたたまった鋪道に、子どもたちが墨色の影を伸ばして歩く。セーラー服を着た少女と三歳くらいのよちよち歩きの女の子。小さなカートを引く母親と子ども。きれいなものしか写さないコーネルの美学がそこここに溢れていた。

白倉敬彦さん

白倉敬彦さんが亡くなられたとのこと。先月、ブログに「白倉敬彦 逝去」で検索してきた人がいて、おかしいな、と思っていたのだけれど、Wikipediaにも何も書かれていなかったので、きっと誤報だろうと思っていた。ひと月も前に亡くなられていたのだ。笠間書院のブログでそのことを知った。

昨日、東京国立近代美術館で《菱田春草展》を観た帰りに、2階の小展示《美術と印刷物―1960-70年代を中心に》も覗いてきて、エディシオン・エパーヴは、そうか、わたしの生まれた年に設立されたのだな、とあらためて確認したところだった。展示されていた清水徹の添え書きの色もレモンイエローだったことを確認して、これはきっと『瀧口修造の詩的実験』の添え書きから来ているのだな、と考えたりした。エパーヴの『これは本ではない』がわたしの誕生日に刊行されているのも勝手に嬉しくてそんな些細なことも気に掛かった。白倉さんが綴った『夢の漂流物』(みすず書房)には心底引き込まれた。ひといきに読んで感嘆のため息とともに本を閉じた。瀧口修造という精神的な父を据え、長男・宮川淳、次男・豊崎光一、三男・白倉敬彦という疑似家族を形成していた70年代の奇跡のような「透明な気圏」を眺めてみたかったとつくづく思った。これで瀧口を巡る「透明な気圏」を象っていた三星はみな消えてしまった。その最後の星である白倉敬彦さんには、いつかエパーヴについてお話を伺いたいと思っていたのに。

本の雑誌』はいつも近所の図書館か勤務先の図書館で立ち読みするくらいで買ったことはなかったのだけれど、今回の特集が「リトル・マガジンの秋!」というので、はじめて買って読む。最初のほうのページに掲載されている内堀弘さんの「リトルプレス・紀伊國屋書店・真夏の京都」をちらっと立ち読んだら、すてきな書影がたくさん載っていて「これはやっぱり買うか」となったのだ。池田時雄の出していた『ボヘミアン』という雑誌は、以前『新領土』の詩人について調べていたときに、「こんなのもありますよ」と内堀さんに教えていただいて、国会図書館でバックナンバーを通覧したことがある。書庫から出してもらったそれは、雑誌と呼ぶには驚くほどささやかなワープロの手作り小冊子だったが、夭折してしまった西崎晋やニューギニアで戦死した酒井正平の特集などもあり、モダニズムの時代を通過してきた詩人たちの生の声が伝わってくる貴重なものだった。

リトル・マガジンカタログでは、坪内祐三さんが『BOOK 5』『雲遊天下』とともに真治彩さんの『ぽかん』を選んでおられて嬉しかった。SUNNY BOY BOOKSの高橋和也さんは『ヒロイヨミ』『北と南』『アフンルパル通信』を選んでいて、3冊ともわたしにとってもなじみ深いリトル・マガジンだったので、これまた作っている人の顔を思い浮かべてにんまり。『talking about』『純粋個人雑誌 趣味と実益』『modern juice』も読んでいる。Lilmagの野中モモさんのエッセイにもにんまり。巻末の内堀さんのプロフィール欄に2014年のマイブームとして、3位に『ぽかん』が入っていてふたたび嬉しくなったが、2位に思いがけず「アパートメント食堂・なか川」が入っているのを見つけて、なぜか「あ!」と声を上げて笑ってしまった。いや、「アパートメント食堂・なか川」はいいお店ですけどね。最近行ってないけど。

今日は他に、書店の棚でぴかぴかに光り輝いていた『アイデア』367号(特集:日本オルタナ文学誌 1945-1969 戦後・活字・韻律)も一緒に買ってきたけれど、ページを開く前からひしひしと凄みが伝わってくるので、勿体なくて、というか、怖くてまだ開いていない。これは正座して読まねばならない一冊になることでしょう。

中村三千夫さんの小さな冊子(つづき)

 

国立国会図書館にて、中村三千夫さんの追悼文を閲覧してきた。詩人の安東次男による文が心のこもった文章でひどく感動する。とりわけ最後の一文。

先ごろ、中村三千夫が急逝した。中村三千夫といっても、一般にはなじみのない名まえだろうが、東京渋谷の宮益坂上に、ちいさな店を構える古書店の主人である。[...]彼の訃報に接したとき、私は、某々詩人が死んだと知らされたことよりも、衝撃を受けた。生前さして深いつき合いがあったわけではないが、中村三千夫の名まえは、これまた数年まえに故人となった伊達得夫の名まえと共に、戦後詩の歩みの中で、忘れ得ない印象を私にとどめていた。伝えるところによると、故人は一日に一度古書あさりに出歩かなければ気がすまないほど、根っからの本好きだった。また、良書があると聞けば、その多少にかかわらず、地方にもとんでいった。とりわけ詩書を愛し、どんな無名詩人の詩集もおろそかにはしなかった。彼の隠れた努力によって屑屋の手に渡らずに保存された詩書は数えきれないはずである。身を置くのさえ不自由になった部屋の片隅で、たぶん永久に値の出そうもない雑詩集の山に囲まれて、なおそれらを愛してやめなかった故人の姿が、いまも私の目の前にはうかぶ。

『安東次男著作集 第七巻』(青土社, 1975年) p.566-568 

古本の世界の豊かさとは、本来こういうものではなかったのか、と思ってしまうわたしはもはやオールドタイプの仲間入りなのだろうか。

中村三千夫さんの小さな冊子

この夏はなぜか『瀧口修造の詩的実験 1927〜1937』(思潮社)に挿み込まれたレモン・イエローの添え書きのことがずっと気に掛かっていた。頭のすみに貼りついて、いつまでもそのレモン・イエローがちらちらと掠める。そこには「ボン書店」「ユリイカ伊達得夫」という伝説的な名前とともに「中村書店の中村三千夫」という名前があった。

「日本の古本屋メールマガジン」のバックナンバーで、亡くなられた田村治芳さんが「渋谷宮益坂上の中村書店に行ってみなさい」(http://www.kosho.ne.jp/essay/magazine04.html)という文章を書いているのを見つけた。中村三千夫さんの息子・正彦さんが、三十三回忌に49ページの小さな冊子をつくった、とある。家族用に限定七部ということだけれども、田村さんがその目次を挙げてくださっているので、わたしのように遅れてきた者であっても、初出にあたることができる。

 古本屋から見た文学 中村三千夫(「新潮」昭37年8月)

ある書店主の死   安東次男(「東京新聞」昭和43年10月)

中村三千夫氏を憶う にんじん生(「古書月報」昭43年9・10月号)

在りし日の中村さんを想う 木内茂(〃)

中村三千夫君哀悼 高橋光吉(〃)

古書漫筆      福永武彦(「サンケイ新聞」昭46年11月)
古本のバカ値    安西 均(「詩学」昭46年10月)
中村さんのこと   富岡 弦(「南部支部報」平2年4月)
中村三千夫の仕事  高橋 理(「古書月報」平5年10月)
安規本曼茶羅    伊東 昭(「銀花」12号 昭47年冬)
中村さん      飯田淳次(「明治古典会通信」昭51年11月)
小林秀雄の思ひ出  群司義勝(「別冊文芸春秋」平4年夏)
背の高い詩人    三木 卓(「図書」平12年3月)
読者よ、『異国の香り』を繙いて見給へ 堀内達夫(「詩学」昭59年9月)
幸福について    秋本 潔(「凶区」22号 昭43年10月)
私の父       中村千恵子(昭和女子大付属中学校二年生昭43年)

手始めに勤務先の図書館で『新潮』『詩学』『銀花』『図書』『別冊文藝春秋』など簡単にあたれるものは、あたってみた。けれど『南部支部報』『明治古典会通信』は、どこでバックナンバーをあたればよいのかわからない。この前、鎌倉で隣に座った古書店主のUさんにその話をすると、さっそく手紙とともにいくつかのコピーを送ってくださったのだった。

追記:平出隆×加納光於の対話で、詩画集をつくりませんか?と提案したのは加納さんのほうからだったとのこと。平出さんからのアプローチだろうなと思っていたので、すこし驚いた。詩画集『雷滴』は、中心に加納さんによるモノクロームの版画が置かれ、その両脇を平出さんによる三行の詩のことばがかためている。

かまくらブックフェスタでM堂さんの古書から購入した、湯川書房の『渚の消息』(伊藤海彦)がフランス装のとてもきれいな本でぱらぱらと眺める。本文は二色刷りでタイトルとノンブルが青みがかったエメラルド・グリーン。色の雰囲気がどことなく『ぽかん』03号に似ている。「七里ケ浜」「江ノ島」「稲村ケ崎」「材木座」などの地名が入った海辺の光景が点描されていて、鎌倉で手に入れることができて嬉しい一冊。

自分用メモ:平出隆×加納光於「装幀をめぐって」


聞き手を平出さんがつとめ、加納さんが答えるというような図式ではじまった。まず、最初に加納さんがおっしゃったのは、自分は絵描きで専門のブックデザイナーではないのに、どうして装幀を頼んでくるのか?という思いがおありだったとのこと。そして、どうせやるのなら、特色を使いたいし、値段の高い低いではやりたくない、という言葉もあった。


このやりとりを聴きながら思い出したのは、2009年だったか、間奈美子さんの《アトリエ空中線10周年記念展》のギャラリートークで、書肆山田の創設者の山田耕一さんがとある詩人に「加納と組んだら潰れるぞ」と言われた、とおっしゃっていたことだった。加納さんは特色を使って何度も刷り直しをするからだそうで、そのとおりに受けていたらたいへんなことになる、ということだったらしい。お話を聴きながら、やっぱりそうだったのか、と妙に納得してしまった。


加納さんは、自分は絵描きなので、と繰り返しおっしゃっていたのが印象的だった。装幀の仕事は、自分の絵に言葉が入ってくるのでどうも抵抗があるとのこと。それから、とある著名な詩人の本の装幀を編集者から頼まれていたのだけれど、著者に「加納の絵は強すぎる」という理由で断られたことがあったとのこと。確かに、加納さんの作品には、色彩を大気と一息でつかまえたその瞬間を画面に定着させたような、迸るような鮮烈さがあるので、その著者は自分の言葉が拮抗できないかも知れないと思ったのだろう。これも、そうだろうなあ、と妙に納得する。


モニタには加納さんがこれまでに手掛けた数々の装幀が映しだされ、吉増剛造さんの献呈署名(まだこの頃の吉増さんの字は太く力強い線だ)本が何冊もあり、そのうちの何冊かにはお礼の言葉がはいった本もあって、見ているだけで胸躍る。大岡信とのブックオブジェ《アララットの船あるいは空の蜜》は35部つくられたそうだけれど、誰かこの詩集を読んだことがある人はいるのだろうか?


「色彩は誰のものでもあり、誰のものでもない」「色がかたちをつくりあげている」「湧き立つように色がたちあがってくる」といった言葉の数々もいちいち書きとめておきたい。また、加納さんはタブッキがお好きだそうで、彼の「色彩は瞬間の集合体だ」という言葉を引いておられたのも、なんだか嬉しくてにんまりしてしまう。


カラリストとしての印象が強い――去年、図録にいただいたサインも虹色の色鉛筆だった!――加納さんだけれど、平出隆さんとの詩画集『雷滴』では一転、モノクロームの版画である。この理由ということで、加納さんが答えておられた言葉がたいへん心に響く。「(平出さんの詩の)言葉が両脇を固めているので、色を侵されるのではないかと思ったから」。これは、すごい言葉だな、と思って感嘆してしまう。昆虫や蝶々に本能的に備わっている保護色や擬態のように、平出さんの硬質な詩の言葉から、無意識に自分の身(というか版画作品)の純度を守ろうとして色を失ったのではないか、と考えたりもした。


画家と詩人がそれぞれの芸術で互いにすこしでも相手の領域を侵犯しあおうとするような、ひじょうにスリリングな衝突の火花が感じられて、たいへん刺戟的な対話であった。


会場には、美術評論家の馬場駿吉さんや詩人の藤原安紀子さんもおいでになっていたよう。トークのあとで、馬場駿吉さんが編集を務めておられる名古屋の芸術批評誌『リア』をツバメ出版流通さんの棚から買った。